モーニング娘。
L. Althusser
世の中一気にアンチ安倍。一時は北朝鮮にものをいう頼もしきリーダーだとか褒めそやしていたのに。
私は政策とは別の次元で日本の「言葉」の価値を低下させた人物として先の総理大臣小泉純一郎を忘れるつもりはないし、その傷跡は今も生々しくここ彼処に残っている。それと比べれば安倍などそれ自体としてはたいした意味はないと思っている。そもそも今度の選挙結果だって、安倍がどうとかいうのとは別に小泉の詐術に衆院選で票を与えすぎたことに対するバランス感覚が潜在的に働いた効果もかなりあると思う。そういう意味では多少は同情にも値する。
ちなみに私の二票はともに「死に票」となった。勝ち馬には乗らない主義ゆえ、それもまたよし。
もはやまともなはてなユーザでもない私がこの件について話を続けるのもなになのだが。
はてなスターはある特定のエントリの内容に関して「褒める」という評価を行うシステムだったはず。いかにも「褒める」とは「評価」に他ならない。なのに間違えて評価してしまっても修正できない。
この件についてわが意を得たりと思うエントリーがあったので紹介。
つか、人の評価を間違いでつけて気にならない人の方が気持ち悪いわ。
「あっ、こいつの言うこと全然ダメだけど間違えて褒めちゃったー、でもまあいっかー」
ってどんだけ無責任よ。
褒めたくない人まで褒めて「もう褒めちゃったからあきらめてください」って何よ
kyoumoe dovrebbero funzionare per vedere CLANNAD.の7月13日のエントリ「?」
付け足せば、評価とは個別エントリに対してなされるものでなければならない。しかるにこのスターシステムはエントリに対して付けたはずの評価が書き手同士のつながりを構築してしまう。なに、この談合的評価システムは。内輪で評価しあってコミュニティを形成し、内輪コメントシステムで陰口をたたきあう、とか。
逆に個別エントリに評価すべきものがあっても、それ以外の部分で相容れないものがあったり、特に「馴れ合い」などしたくない書き手の記事には星印はつけられない。評価システムとしては完全に破綻しているのだ。
結局このシステムは内輪コミュニティ形成システムとしてしか使えない。それも一ヶ月に一回(だっけか)お互いに星印を付け合うことが義務付けられた内輪コミュニティ。
個人的にはmixiより不気味なシステムだ。
最初数あるブログシステムからはてなを選んだときには、その画面のシンプルさ、タグを書かなければリンクもはれなければ、文字も大きくできないそっけなさ、そういうのが好きだった。でも完全に方向が違ってしまった。
今では好きになれないブログシステムの上位に入るようなものになった。
私は以前は「はてな」のブログシステムを用いて記事を書いていた。
その「はてな」ブログのシステムからくる「書きにくさ」を感じて、最終的には完全に「はてな」からは足を洗ったわけだが、依然書いていたブログはそのまま放置していた。リンクを張っていただいていたサイトさんもあったり、検索システムからの訪問者も若干ながらいた、ということで、情報を消してしまうのにためらいがあったからだ。少なくとも私はネット上に上げた情報はそれほどテンポラリなものであるとは考えていない。ブログの情報といえども、ある出来事に対するネットユーザの「生」の声として、それ自体が一定の資料性を持ったものだ、と私は思っている。
それでも今回たまらず非公開にした。理由は「はてなスター」なるシステムをはてなが導入したからだ。
「はてなスター」の何が問題か。すでにはてなユーザたちの間でも議論が多く出ており、今ここでそれを後追いすることもなかろう。私が私の使い方で困惑した点を中心に指摘しておく。
私はすでにはてなブログユーザとしては何もやっていないが、アンテナシステムだけは使っている。もっともはてなの想定するユーザではない。単にこのシステムが一定のインフラとして広く使われている、という認識の下、サイト運営者の立場からするチェックに用いている。チェック用だから公開はしていない。だからアクティブなユーザではないが、アンテナをチェックする際にはプライベートモードのアンテナを閲覧するために、はてなにはログオンすることになる。いったんログオンするとわざわざログオフはしない。他のはてなブログのサイトにコメントすることもないので、今自分がはてなにログオンしているのかどうかはあまり意識していない。
先日、つらつらとさまざまなブログを見ていた。ながら見だから、特に共感するサイトさんだけを閲覧しているわけでもない。そうした中であるサイトさんを見ているときに、画面を何気にクリックした。なぜクリックしたかは覚えていない。大して理由などない。大仰なボタンなどの上ではクリックはしないが、そうでもない画面上を何気にクリックすることは(少なくとも私は)特に意識せず普段から行っていることだ。
すると何の確認画面もなく、いきなりそのサイトさんの画面に星印が登場した。びっくりした。そのサイトさんに対して、私がわざわざ訪問したなどという痕跡をつける気はなかった。あわてて消そうと思って私がクリックした画面周辺のマークをいろいろ探して、よくわからないままにもう一度画面をクリックした。また星が増えた。
普段からマニュアルなど読まず、とりあえず操作してみる、という悪癖が出てしまった。後でじっくり調べてみると、ワンクリックで問答無用に痕跡をつけるシステムであり、しかもその痕跡は取り消せないシステムなのだという。はてなユーザとしてログオンした状態で、はてなユーザのブログを閲覧していたのだから、はてなのシステムは熟知していて当然なのだ。私の注意義務違反だ。
などと言い聞かせては見るものの、釈然としない。画面をクリックしたら、何の確認も出さずに他人様のサイトの表示を変えてしまうシステム。そんなUIがあってよいのだろうか。私だったら絶対作らない。作らせない。
案の定、はてなユーザからは不評、修正を求める意見がはてなに寄せられたようだ。しかしそれに対するはてなの回答がこれまたなんといったらよいのか。
コメントの中に、☆を消したい、というご要望を多く頂いておりますが、当面☆を削除する機能はつけずにいこうかと思っています。
ブログのエントリーは次々に流れていきますし、挨拶のようなものであるとお考え頂ければ幸いです。
「次々に流れていきます」だと。それと星印を消したいという要望とのつながりがわからない。流れて行こうがどうしようが、それらはネット上に厳然として残る。少なくとも私はブログに書いたことをテンポラリなものだとは思っていない。はてなとは決定的に思想が違うようだ。
「挨拶のようなものだ」だと。街中で人違いして知らない人に挨拶をする。間違いに気づいたら謝る。挨拶は取り消せる。なのに星印は取り消せない。どこが「のようなものだ」だ。
街中で見知らぬ人に挨拶をする。挨拶はポジティブな行為だからノープロブレムです、などというのはよほど物事を知らないか、知らない振りをしているかだ。(山道などのように)見知らぬ人にも挨拶を交わすことが規範化されていない場面で見知らぬ人に挨拶する行為、それは挨拶された人に一定の困惑をもたらすことになる。「向こうは私を知っているのだろうか」、「こちらも挨拶を交わさないと失礼なのだろうか」、「そもそもこの人はいったい誰なのか」。そしてそうした困惑をもたらすということは小学生でも知っていることだ。
なのにはてなはノープロブレムだとのたまう。「他人を褒める」ことしかできないすばらしいシステムなのだとのたまう。この能天気な振りをして自分の都合を一方的に押し付け、尻拭いしない無責任さを今までも何度見せ付けられてきたことだろう。もううんざりなのだ。
本当に「他人を褒める」だけのシステムだというのなら、まだしもそれに特化すればよかった。単に星が付くだけ。しかし実際にはそうではない。相手のブログに星を相互に付け合うことで、ユーザ間のコミュニティを作り、コミュニティ内のユーザしか見られないコメントがつけられるようになるシステムなのだという。なに、この村八分推奨システムは。論外である。