モーニング娘。
L. Althusser
原爆の話の続き。
原爆投下がなされた原因として、アメリカ国家の都合として説明されるのが「ソ連の参戦前に戦争を終結させたかった」というものがある。そうして話の焦点は当時の国際情勢に移っていく。この説明は「日本が分割されるのが避けられたのは原爆による早期終戦のおかげである」という「言い訳」としても機能するのだが、しかし真に言い訳をしている相手は日本ではないのだろう。
「政治的な判断」、そこにはアメリカ政府の判断の過ちの可能性への言及も招く。そこでなされる問いかけは以下のものとなる。
原爆投下は果たして必要でしたか?
この問いを発せられる「隙」を残してもなお、原爆投下は政治的な問題であらねばならず、そうであることによって自らの責任を免罪化できた人たちがいたのではないか。
原爆投下は当時の国際情勢に沿った形でのアメリカ国益を守るために行われた、のが主ではなかったのではないか。原爆投下は、政治的な判断に基づく過ぎたる攻撃、などではなく、端的に「実験」だったのだ。十数万人の人々の命を犠牲にした人体実験。それこそが主であって、国際政治上のアメリカの国益、などというものさえ、言い訳に過ぎないのではないかと思えてきたのだ。
原爆投下が政治的な判断であるとするならば、その過ちで責められるべきも「判断」の過ちである。しかし原爆投下が大量虐殺を前提とした実験であるとするならば、その過ちで責められるべきは「良心」の欠落である。ここではもはや「必要か不必要か」は論点にもならない。そしてそれは原爆投下に関わった人には認めがたい責め、自己の人間としての存立に関わる責めになるのだと思う。
あなたは原爆の被害状況を聞いたとき、その結果に満足できましたか?
「徴兵制あってしかるべき」 東国原知事が持論展開
宮崎県の東国原英夫知事は28日、宮崎市の知事公舎であった若手建設業者らとの懇談会で「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と述べた。記者団に真意を問われた知事は発言を撤回せず、「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」と持論を展開した。
だってさ(asahi.com)。
まずてめえが軍隊入れよ。
あ、「たけし軍団」に入隊してたんだっけか。
道理で知性の欠落した人間ができあがったわけだ。
所用で広島に行く。
昼前に広島に到着。予定は18:00から。それまでの時間をどう過ごそうと考えて、「原爆ドーム」。広島といえば厳島神社とか他にもいろいろあるだろうに、そういう発想が出てこない。とるものもとりあえず「平和教育」、中学校時代から発想が広がらない。日教組の強かった中学校の修学旅行の価値観を今も引きずる。そんな自分が嫌いでなかったり。
実際、中学修学旅行以来の広島観光。中学校の時は新幹線広島駅から観光バスに乗り換えてそのまま原爆ドームのある平和公園入りをしたはずなので、広島市内をふつうに歩くのは始めてかもしれない。特になんということはない大都市だが、市電が残っているのは少し新鮮。バスに比べての(効率上の)メリットはよく分からないが、風情はある。
久々(20年ぶり)に見る原爆ドーム。頭の中の記憶よりこぢんまりして見える。この建物、元々は左右対称だったということさえ知らなかった。
平日ということで人は少なめに感じたが、それでもまずまずの賑わい。西洋人とそして小中学生の姿が目につく。見るべき人、見に来てほしい人が見に来てくれている。
平和記念資料館は入館料50円。500円ぐらいかと思っていたので、少し驚く。しかも小・中・高生については団体になると無料とか。
沖縄で見た平和祈念館を思い起こす。「核兵器」という「絶対悪」に対峙するこちらの方がメッセージはよりシンプルだ。日本の侵略戦争という視点は薄め。原爆ドームを世界遺産に登録する際、中国が棄権した、という話に繋がる。沖縄は、アメリカ軍と、そして何より日本軍に蹂躙されたとの思いが展示にもにじむ。
こちらで強調されていたのは、ポツダム宣言の受け入れを迫るとき、原子爆弾の使用を警告することが一切なかったという事実。(内容はどうあれ)天皇制の存続とそしてこの警告とがあれば、あるいは原爆投下は避け得たのではなかったか。しかしその努力の痕跡は見られず、むしろ膨大な国費を費やしたが故に「成果」を欲したアメリカ国家の論理のみが貫徹された。「本土決戦によりより膨大な被害が出ていた可能性」を主張して、免罪を計るアメリカ政府の論理の矛盾を厳しく突く。
原爆投下予定都市には数ヶ月前から空襲を止め、その「効果」を確認しようとする周到さ。壮大なる「科学実験」。そのもとでどれほどの人々がどれほど悲惨な経験を強いられるか、想像する必要すら感じなかったであろう、当時のアメリカ近代社会。近代社会に内在する「野蛮」、その野蛮を「対ファシズム」の美名の元に目を背け続ける。
原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの生涯をあらためて読む。一人を殺せば殺人、百万人を殺害すれば英雄、十万人以上を殺した原爆投下も英雄の所行か、しかし十万人の中の一人一人にはささやかだが代えがたい人生があった。そんな当たり前のことをあらためて思う。