重層的非決定

モーニング娘。

L. Althusser

No.25
2004/01/11-2004/03/31

★輝かしい未来

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■軟弱非国民

えー、ないっす。全然そんなもの、私は持ってないです。

(2004年3月19日)

■救済

夢を見た。

土砂崩れがあって、自宅が倒壊、元の土地は土しかなく、少し離れた場所に残骸の山。

最初はわが目を疑い、次に言いようのない喪失感。もと家があった場所にある空白をただただ呆然と眺める。気を取り直して見つけた残骸へ向かう。

まず探したのはThinkPadT40。ソフトケースに入った状態でごみの中に埋もれていた。「液晶割れているのだろうか」と案じるが、怖くて確認できない。次に探したのはハードディスクビデオレコーダー代わりのデスクトップVAIO。一式修理あるいは買いなおした代金って保険下りるのだろうか、いやそれ以前にせっかく取り貯めた娘。関連の映像がお釈迦か、と大いに気落ちする。

目が覚めて、つらつら夢を思い出す。今の私の精神状況を反映した夢なのだろうか。

喪失感とかキーワードに誰かもうちょっとましな夢分析してください。パソコンフェチでモーヲタだ、という結論以外の分析を。

(2004年3月17日)

■反権力な人

仕事でボランティアを標榜する団体を立ち上げ、仕切ることをしている。ボランティア精神の欠落したわが精神、とても居心地が悪いが、仕事とあらばやむをえない。

ボランティアを標榜すれば、そこに集う人、実にさまざまな思惑を持って集まる。おまけに人の集め方が草の根でもなんでもなくて、行政の力を借りて一気にやるものだから、とてもじゃないが統制など取れない。何とか最大公約数を、あるいは「緩やかな」組織作りを行うことで、最低限の組織を守ろうとあがく。

当たり前のことながら、とても「真面目な」、否定的に言えば「ゴリゴリ」の人がやってきた。「弱者」の立場を前面に出して、とても正しいことを言う。話していることには間違っていることは何もないのだが、そのほかの参加者の多くの反発を買う。いわく「一般論を繰り返しても意味がない」。「あなた個人でやってくれ」。

「若い」なあ。私よりうんと年上だけど。己の正しさを押し通すあまり、他の人のやりたいこと、いいたいことを妨害しては逆効果なのに。こちらも立場が立場なので(中立を標榜せざるを得ない)、また年齢が上の人に説教がましいことを言うのもこれまた逆効果だと知っているので、何もいわないが、彼は*またしても*挫折感を味わって去っていくことだろう。

(2004年3月9日)

■Night of Tokyo City

東夷の国に来ている。道を歩いていると、突然お巡りさんに囲まれて、「この非国民!」とかいって拉致されて、拷問されて、転向を迫られるのではないか、などといった妄想が頭の中を駆け巡る。くわばら、くわばら。

逆に京都から来た、というと鳥インフルエンザが蔓延しているところだね、などといわれたりするようなのだが、どう考えても鳥インフルエンザよりも石原のほうが怖い。

とりあえず東京に来れば秋葉原、というのが「定番」だが、そこで探すのがハードウェア関連ではなくて、ハロプロ関連ソフトだというのがなんとやら。娘。のファーストアルバム「ファーストタイム」の新品とメロン記念日のライブDVDを発見。そのほか、なかなか関西では見当たらないものが全部そろっていて、サヨクには冷たくても、モーヲタにはとても優しい土地なのだと感じた。

(2004年3月9日)

■市井の人

そういえば市井紗耶香が結婚するようで、それも「おめでたい」という感じというよりなんとなく「いたたまれない」という感じで、しかし彼女はデビュー当時からその「いたたまれなさ」が魅力だったのだとずっと思っていた。気が小さいのに勝気で、正義感が強い、そんな感じ。安倍なつみとは真逆で、人気も見事に反比例していた。安倍の退潮と期を一にしてして人気が出始め、安倍が最も落ち込んでいたときに、「皆」に惜しまれ、休業に入る。周りにお膳立てされて「王」の場所に君臨し続けた安倍と違い、必死で自らの居場所を切り開こうとしたが、とうとう力尽きた、そんなストーリーが頭に浮かぶ。正直芸能人としての市井の末期は、とても見るに耐えないものであったが、それも含めて市井だったのだ、などと言い聞かせてみる。

(2004年3月4日)

■落胆のその後で

常に裏切られる期待であっても、それでも何かしらの期待を持っているときのほうが、当たり前の話だが、精神は解放された状態にあることも確かだ。

問題は、その期待が資本の論理に飼いならされた期待であるのか、あるいは「現実」には成立し得ないような妄想的なものであるのか、である。昨年来ひたすら資本の論理に飼いならされ続けた状況とは少し違った匂いを嗅ぐ。妄想に終わることが分かっていてもなお、何かを突き動かすかすかな期待。裏切られる前に、このエネルギーで、ほんのわずかでもどこかに向けて前進しよう。それで十分だ。

(2004年3月3日)

■性懲りもない

期待を最低限にしか持たないようにしている、などと拗ねた世捨て人みたいなことをいうやつに限って、実は最大限に期待を膨らませた妄想の中に生きている。常に裏切られる期待とは、実現不可能にまで膨れ上がった期待のことなのだ。

(2004年3月3日)

■王道を行く

14日連続のお仕事が終わり、ようやく休みが取れた。

というので先週見られなかったハロモニSP、安倍卒業ライブ特集を見る。

いつの間にか娘。界でいう「DD」(誰でも大好き)になっているようだ。今や「セット販売」のハロプロコンサートでもしっかり楽しめる心性になっている気がする。「原理主義」と「右翼」の違いが着実に実を結び、モーニング娘。にとどまらず、ハロプロ全体に安倍なつみが生起しているのを「見る」ことが可能になった。

それでも、安倍が「卒業」して、モーニング娘。の曲から姿を消しても、ハロプロとしてはそこにいるのだからハロプロコンサートぐらい今後も一緒に歌ったらよいのに、などと思う。後藤真希が1人で出てきて去っていくのを見て、一層そう思う。今後後藤も安倍もいない「Do It Now!」をその他のメンバーで歌うくらいなら、後藤安倍で歌ったほうがずっと良いではないか。安倍と飯田・中澤で「モーニングコーヒー」を歌わせろよ、などというのは原理主義ならぬ単なるアナクロか。

そんな妄想も含めて楽しめたのだが、やはり、どうにも「ああ!」の曲と歌い手のガキぶりの落差には着いていけない。田中れいなは、まあ正直言うと、実は、その何というか、結構好きだったりするのだが、横に二人へばりついているガキは、見ていていたたまれない。別にロリコンじゃないぞとアピールしたいわけではなくて、単にガキは基本的に嫌いだというだけのことで、でも田中れいなは良いのか、ふむ。どうせ私はロリコンだ。

(2004年3月3日)

■世界平和

ビンラディンをアメリカ大統領選の前に何とか拘束したいとブッシュ政権は考えているのだとか。

ビンラディンが逃亡を続けるのが、世界平和のためだな。

(2004年2月29日)

■お友達

プライベートで人と会うことがまったくなく、電話で話すこともない私にとって、ネットとりわけメールは唯一「社会」への窓口だ。

今月届いた、MLや同報メールではない、私宛のメール、一件。

突然のメールすみません。私はかれこれ出会い系をやって数年経ちます。そこまでの道のりは険しかったですが、http://www.love2-site.com/?8に出会いました。そこで、数々の女性と会ってきました。でも、ある理由がありそろそろ引退しようと思っています。そこで、貴方の掲示板を見つけ、昔の私に似ている感じがしたのでメールしてみました。今まで誰にも教えたことがなかったのですが、貴方に教えようと思います。有料のサイトですが、騙されたと思って登録してみてください。私も最初は半信半疑でしたが、驚きましたから。

「昔の私に似ている」?おう、同士よ。

(2004年2月28日)

■嬉しい時、満足したこと

私の中の喜びとか、満足とかの質がどんどん低下しているのを如実に感じる。

ほぼ毎日仕事に出ているのに、あるいはそうであるがゆえに、この精神的引きこもりぶり、身体的に引きこもっていたときのほうがはるかに解放されていたのは確かだ。

(2004年2月28日)

■祝連続ドラマ出演

今クール一押しのドラマ、「彼女が死んじゃった」、低視聴率のため、9回で終了する。白黒はっきりするのが潔く、分かりやすいと考える馬鹿(ex.小泉君)だらけのこの世の中、不協和音だらけのこのドラマが受けるわけもない。

安倍さんもどうせ連続ドラマに出るのなら、「ひたすら悲劇のヒロイン」みたいな変なのではなくて、たとえ脇役でも安倍の「天使」っぷりが出るドラマに出てほしいものだ。

(2004年2月28日)

■お休み中

2月16日以降、土日も含め、一日も休みがない。

仕事では2年来の馬鹿に遭遇し、消耗する。人に泥をかぶせることはなんとも思わず、自分が泥を少しでもかぶりそうになるとわめいて、方々にねじ込む。一刻も早い駆除が必要なのに、馬鹿につるむ馬鹿がいるので、簡単にことが運ばない。

逆に同じく仕事で、とても優秀な人とも出会う。ゴキブリ退治ばかりでは心がすさむ。たまにはオアシスも必要だ。

それにしても今いる業界、馬鹿率が高すぎて、少しつらくなってきた。IT教育などという分野、優秀な人間がやる仕事ではないのだろう。

(2004年2月28日)

■頭真っ白

Java研修やら年度末のイベントの準備やらでばたばたしている。おまけにこの間の金、日とわりかしハードに働いたら、完全にダウンしてしまって、ようやく復活。ミニモニのアルバムが良い、と2chあたりで唆され、その気になるが、買いに行く暇もない。そもそもミニモニのアルバムなどレジに平然と持っていけるだけの精神力があるかどうかも微妙だが、安倍アルバムを買えたのだから、何とかなるだろう。モーヲタも精神修行に励まねばならない。

「白い巨塔」。相変わらず患者(原告)側に感情移入が出来ない。そういうドラマなのだろうか。患者の遺族も、それに同情し、証言台に立つ医師(江口洋介)も、人物描写が薄っぺらでまったく共感しようがないのだ。

似たコンセプトのドラマに「振り返ればやつがいる」というのがあったが、こっちは「正義派」の医者(石黒賢)の描き方が抜群だった。正義と欲望、それを裏表としてではなく、並列的に、偽善を暴くのではなく、人間の普遍的な行動原理のひとつとしてリアルに描き出していたように記憶している。正義の背後に欲望があるから正義はくだらない、のではなく、まさに欲望に導かれて正義が発露する、そのリアリズムを描いていたのだ。今回のドラマは、欲望は患者の遺族に、正義は弁護士、およびそれを支援する医者に割り振られてしまっているがゆえに、どちらもとても平板な人物描写に終わっている。一方被告(大学病院)側の描写はとてもリアルであるがゆえに、この勝負、まったく勝負にならないのだ。

原作を読んでいないので分からないのだが、このドラマ自体はどう話が進んでも、視聴者は被告側に感情移入をするようにつくられてしまっている。それが意図ならそれでよいのだが、それは原作者の意図に合っているのか?原作者の意図などどうでも良い、とは思いつつ、気になる。

(2004年2月12日)

■セカンドモーニング

おけいさんを早送りしたくなるのは、今まで大所帯の中から安倍の声を探し当てたりしていたのが、これはソロアルバム、もう隅々のヘゲヘゲのところまで全部安倍の声だ、と思っているところに突然不純物が混入されているような、そんな違和感を覚えるためであって、それ以上に「おけいさん」をどうこう言うつもりはない。

ついでに曲名が悪いといわれる「ピ〜ヒャラ小唄」だが、これが「プリンちゃん」名義の曲でなく、たとえば演歌歌手名義の曲だったら別にふざけた曲名ということにはならないんじゃないかと思ったり、要するに私の頭の中は安倍アルバムでいっぱいなのだ。

そんなこんなで2chの安倍アルバムスレを読んでいたら、モーニング娘。セカンドアルバムが話題になっていて、ついその気になって近所のCD屋に行って中古の「セカンドモーニング」を買い込んできた。

値札は1480円。そこの中古アルバムの平均的な値段だったので、そんなものだと思ってレジに持っていくと、値札は間違いで199円(税込み)だという。うれしい、というより寂しくなった。

(2004年2月7日)

■OK3

はっと気がついたらもう節分も終わっていた。私なりに大切だったはずの日もあったが、なんと言うこともなく過ぎていった。

そしてプロレタリアートの鏡、週休3日(ときどき4日、のち引篭もり)制を敷いている私の中休み、多少はものを考えるかと思いきや、一日音楽を聴いて過ごす。

安倍なつみのファーストソロアルバム「一人ぼっち」。

えーと、誰ですか?つんくの曲はつまらないとか、安倍なつみの歌声は好みじゃないとかわけの分からないことをいっている人は?脳みそに蛆虫わいているんじゃないの?

いや、もうすばらしいのですよ。安倍ヲタの私が言うんだから間違いない。贔屓目ありまくりですばらしいのですよ。一年間の平均CD購入枚数が1枚を下回る私が言うんだから間違いない。日本のアイドル歌謡の中のアルバムの中でも1,2を争う名盤なのですよ。

ほんと、早送りしたくなる曲が一曲も、もとい一曲しかないのですよ。想像通り「どすえ」が名曲だったのは当然として、ヲタの評判が悪く、事実収録シングル(ミニハムズ)の売り上げも悪かった「ぴーひゃら小唄」がこれまた珠玉。もう(一曲を除いて)どれも飛ばせないから、一通り聞くのに時間がかかり、しかもリピートしまくりで睡眠時間が短くなるほど。

安倍なつみの存在なんてどうでもいいから、「一人ぼっち」を讃えよう。

(2004年2月5日)

■ドイツイデオロギー

仕事がらみでJava研修受講中。研修といっても大半がWeb Learningで若干の集合研修があるという形式で、受講料12万円。もちろん自腹は切っていない。

SUN謹製の画期的なWeb Learningシステムとかいうふれこみだったと思っていたのだが、とても平凡なWeb Learningだった。紙のテキストを音声が読み上げるだけ。テキストの内容自体は3000円ぐらいの書籍でどこにでも売られているようなもの。そもそもこのWeb Learningの中身はSUN製作のようだが、システム自体は松下のものである。だからファイルの拡張子がaspだったりして、なんのこっちゃ、である。

それでもプログラミングなるもの、一から勉強するのは初めてで、というより、何かを一から段階的に勉強すること自体がとても久々で、これはこれで新鮮だ、などと思ったりする。

Java自体は、なんというか、まあよく言われるようにとても数学的というのか、いちいち厳密で、きっちりしていて、ロジカルで、なんだかドイツ哲学みたいな印象。そういうの、嫌いではないつもりだが、息苦しい。なんだかんだいって、結構雰囲気、勢いで流してしまえるフランス思想みたいなPHPの方が今のところは楽でいい感じ。

(2004年1月29日)

■今日の出来事

そんなこんなで「世間」は大騒ぎしていたりするのだが(どんな世間だ?)、私はまったり後期レポートの採点にいそしむ。

HTMLの課題。いわゆる「ホームページ作成ソフト」の使用禁止、使ったら多分ばれて単位はないよ、と言い渡していたのにmetaタグにGeneratorが残っている。ただそれが「MSHTML」って一体何を使ったのだ?MSだからFrontPageかと思ったがそうではなく、なんとIEから「名前をつけて保存」すれば元のHTMLを改ざんして、こんなGeneratorを残すらしい。なーんだ。それにしても他にもいろいろソースを改ざんしてくれるので、採点がわりかし面倒。まったくつくづくMSさんは、と毒づく。

それはまあ仕方ないのだが、それとは別に不正一件。学生二人の提出ファイルが、ファイル名以外は寸分違わない。ばれない、とでも思うのかな。

(2004年1月25日)

■祝、配置換え

安倍なつみ、モーニング娘。卒業。

しかしハロプロ全体のコンサートで卒業式といわれても、ハロプロ全体から見れば卒業というよりただの配置換えだろうに。

2001年冬。モーニング娘。分割が発表された。

モーニング娘。ギャル組。メンバー、飯田、矢口、石川、吉澤。

モーニング娘。梅組。メンバー、中澤、安倍、保田、後藤、辻、加護

当時からしたらありえない不均衡ぶりだな。その弱小組の方が現モーニング娘。とは。

(2004年1月25日)

■どすえ、いくべさ、だべ?

なっちこと安倍なつみのソロアルバムの発売が近い。

なっちの歌声は好みではないが、なっちの存在は好みの私は一応買ったりする気があったりするわけで、その収録曲の中で安倍ヲタには評判が悪いのが「恋した女の子どすえ」。なっちにはもっと「聞かせる」曲を歌わせろ、などという。聞かせる歌声でもあるまい、それより辻加護から子ども扱いされる件の騒々しさをそのまま曲にしたほうが楽しいに決まっている。というので個人的にはこの曲に一番期待している。

考えてみれば後藤真希のシングル曲の中で曲自体一番良かったと私が思っているのが「原色ギャル派手にいくべ」だったわけで、でもこの曲は後藤には全然合っていないわけで、松浦亜弥あたりが歌えばよかったと思ったりした。実際松浦の曲はこの手の少しふざけた感じの曲が結構多い一方で、安倍ヲタなら泣いて喜びそうな曲、「THE LAST NIGHT」の売り上げは松浦にしては低かった。

というので、私は松浦亜弥自体は強く押してはいないのだが、松浦ヲタの感性は安倍ヲタのそれよりは評価していたりするのだ。

(2004年1月22日)

■人格のアーティキュレーション

ドラマで忘れていたのが、月から木の11時から帯でNHKが放送している「神様、ちょっと待って」。

事故で死んだ中年の主婦がその事故で助かった女子高生の身体を借りて、自分が死んだあとの家族を見守る、とかそんな感じの設定なのだが、これが妙に面白い。「身体を借りる」といっても完全に入れ替わるわけではなくて、両者の人格が混ざり、何が母親の心情で、何が女子高生の心情なのか、その境界線が揺らぐ。そのあいまいな「心」が宿るのが女子高生の身体であるため、家族を心配するありきたりの母親のある意味押し付けがましい愛情が、とてもおずおずとねじくれた(赤の他人が家族内のことに口を突っ込む様はストーカーっぽくもある)、しかしとても「純な」印象で表出されることになる。とりわけはまっているのが配役で、母親役の泉ピン子がそのままの顔で家族のために動くのはとてもうざったいはずなのだが(そしてそういうシーンも登場するが)、ほとんどの場面が女子高生役の宮崎あおいが演じているので、たまらなくいじらしいのだ。

早い話、宮崎あおい、サイコー!ということで。

(2004年1月22日)

■「中心」からの回避

今クールのドラマがほぼ出揃った。

日 8新撰組!歴史好きからは非難轟々?大河なのにしっかり三谷ドラマ。
日 9砂の器中居はねえ。原田芳雄に注目
月 9プライドま、定番だな。
月 9昨日の友は今日の敵?誰も見ないだろうが、意外に面白い
月10乱歩Rいまさらだが、結構コミカルに仕上がっていて悪くない
火 9ファイアーボーイズドラマ名のつけ方が安直。中身はまずまずこんなもの。
火10僕と彼女と彼女の生きる道こっちも命名は安易。とてもいたたまれないドラマだったが、2回目で早くもトーンダウン?
水10それは、突然、嵐のように・・・どうということはない
木10白い巨塔前クールからの引継ぎ。でも患者側に感情移入が出来ないのだが。
金10奥様は魔女想像していたよりずっと面白い。
土 9彼女が死んじゃった今回の一押し

というわけで土曜9時からの「彼女が死んじゃった」、これの朝日だか毎日だかの新聞評では、話は深刻なはずなのにどこまでも軽薄でコミカル、次回以降が不安、とか何とか書いてあったが、この書き手、よほど現代もドラマも分かっていないやつだ。確かに「人(一晩共にした行きずりの女性)の死」に対する主役(長瀬智也)の態度はとても不真面目だ。さらにいえば、出てくる登場人物がことごとく「軽い」。しかし、というよりだからこそ、このドラマはシリアスなのだ。もちろん「現代若者の無責任な風潮を描き出す」とかいう意味ではまったくない。そうではなくて、登場人物の「状況」に対する反応がとてもリアルにシリアスなのだ。

(2004年1月21日)

■最高裁監視メモ

選挙区の一票の格差5.06倍についての最高裁の判断。

違憲にあらず。町田、金谷、北川、上田、島田、亀山、横尾、藤田、甲斐

違憲であり、本件選挙は違法。福田、梶谷、深沢、浜田、滝井、泉

国労裁判ほどの重大性は個人的にはないが、これも参考にしよう。

(2004年1月21日)

■大学教育の復権

辻・加護の卒業にショックで寝込んでいた、わけではなくて、年が明けてから、ごちゃごちゃと忙しく、更新意欲がわかなかった、ということで。

仕事では一個、会員管理システムみたいなのをつくって稼動させたのだけれど、その元の会自体が消滅寸前という。

非常勤のほうは後期の採点が迫っていて、レポートとか試験とかで採点したら不合格者が続出するのが分かったので、出席重視に切り替える。くだらねー、と思いながら、これからの時代、学生さんにはそのぐらいのサービスしなければね、って、それでいいのか?毎日だか朝日だかで法政大学の教授先生(名前失念)が大学教育の形骸化は推薦入試の責任だ、とかいってて、ま、そんなところだろうと思う。非常勤先の大学だって、それほど難関ではないが、英語の入試問題なんか見ているとそれなりに文法、構文が分かっていないと歯が立たないはずで、それを見越して授業をしたら、全然学生さんがついてこられない。特に運動部の連中のレベルは「英書購読」自体が成立しないレベルだ。

で、かかる非常事態に我が非常勤先は革命的な対策を打ち立て、問題を根本的に解決したのである。これこそ大学教育を守る唯一の手段なのだ。

来年で英書購読打ち切り。

(2004年1月21日)

■ニュース電光板

<marquee>本日1月3日、ハロープロジェクトコンサートにおいてモーニング娘。の辻・加護の今夏の卒業が発表された模様。2chをはじめとした掲示板サイト各所はこの話題で持ちきり。</marquee>

(2004年1月3日)

■家族的エロス

そのときの矢口はサブリーダーの顔だった。

そのときの安倍は姉の顔だった。


かくし芸大会。15人全員が連続してテーブルクロス引きを行うという演目。一人の失敗が全員の失敗となるということでよほどのプレッシャーがかかったのだろう、15人全員が成功したときのメンバーは大変な喜びようだったが、その中でも矢口はぼろぼろ涙を流した。自分ひとりではなく、メンバー全員を案じたプレッシャーから開放されたためであろう、そのときの矢口はサブリーダーの顔だった。

同じ場に安倍の妹の麻美が居合わせたため、司会者によって姉妹の対面が実現した。妹も別の演目でプレッシャーから解放されたこともあったのだろう、これまた突然泣き出した。そんな妹を抱き寄せ、頭をなでるそのときの安倍は姉の顔だった。


同じ「役割規範」の顔という表現だが、しかしそのフレーズの位置づけは両者ずいぶんと異なっている。「サブリーダーの顔」がどんな顔だったのか、それは文脈に応じて変わる。メンバーを統率する厳しい顔なのか、メンバーを慰める優しい顔なのか、メンバーを見守る自信あふれた顔なのか、メンバーを案じるあまり涙を流す顔なのか。そしてまたその「顔」によってその場の情況も変わる。つまり「サブリーダーの顔」は文脈依存的な語り・記号なのである。

一方、「姉の顔」が具体的にどんな顔であったのかは余り問題にならない。その前の「説明文」はしかし「姉の顔」自体を少しも説明してはいない。単に安倍が姉の顔をしたという言明に対して補足的な説明を添えているに過ぎない。

泣いていたのか、笑っていたのか、厳しい表情だったのか、そうした文脈依存的な状況をすべて超えたところでなお共通してなお了解可能な「顔」がある。象徴界の次元では断じて実体的同一性を獲得してはいないが(「姉の顔」は笑顔でも泣き顔でもかまわない)、それにもかかわらずそれ自体で完結した表現となっている。

言語というものは本質的に文脈依存的な構造を有しているが、その中で文脈を越えた了解可能性を有する言葉がある。それは現実界への通路となる言葉であり、欲望の対象−原因を指示する「固定指示子」なのである。

(2004年1月3日)

■探し物は何ですか

去年の年賀状が見つからない。

儀礼とかそういうことにほとんど労力をかけられない人間なのだが、そのくせ、義理は果たさねばならぬと突然思い立つ。去年年賀状をいただいた人には最低限の義理を果たさねば、と今日思い立ち、年賀状を探したのだが見当たらない。

一枚も来なかったのか?その可能性もある、と思ったが、しかし某所から機械的に送られてくる(そして今年も来た)年賀状もないのだから、やはりなくしてしまったのだ、というべきだろう。

これだから紙ベースの資料は、と毒づいてみてもいかんともしがたく、金の切れ目ならぬ紙の切れ目が縁の切れ目だとつぶやいてみる。

(2004年1月1日)

■謹賀新年

謹んで新年のお喜びを申し上げます。

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

迎春

賀正

A happy new year

Ein Frohes Neues Jahr!

よい年でありますように

旧年中は大変お世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆々様のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます。

(2004年1月1日)

★過去は一瞬に消える

(-2003/12/31)



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