包帯を求めて骨折を恐れず
●何が本質的で何が非本質的であるかを直接関知する精神的経験というものは実際に存在するのであって、科学の秩序欲求がそんなものはないと個々の主体を説得しようとしても、暴力的にしかできはしない。もしもこうした経験がなければ、認識は停滞したままなんの実りも生じないだろう。認識の尺度は、個々の主体の上に彼らの苦しみとして客観的に降りかかってくるものに他ならない。
Theodor W. Adorno: Negative Dialektik
●抑圧されたものたちの伝統は、私たちが生きている<非常事態>が実は通常の状態なのだと、私たちに教えている。この教えにかなった歴史の概念を、私たちは手に入れなければならない。それを手にしたときにこそ、私たちの課題として、真の非常事態を出現させるということが、私たちの念頭にありありと浮かんでいるだろう。
Walter Benjamin: Uberden begriff der Geschichte
●遂行的言表とは何か。この問いを解明するには、遂行的言表もまた、あらゆる言語的交換をその舞台とする象徴的支配の諸効果の一特例と見ればよい。言語的力関係は決してその場に存在している複数の言語能力の間によってのみ規定できるものではない。異なった行為者たちの負荷は、かれらの象徴資本次第、つまりそれが制度化されたものであるか否かはとにかくとして、かれらが一つのグループから受ける認知次第である。
Pierre Bourdieu: Ce Que Parler Veut Dire
●問いの形式そのものが猥褻なのである。問いは受け手を開き、晒し、裸にし、その親密な領域に侵入する。問いに対する基本的・根本的な反応が身体レベルでの恥ずかしさなのは、そのためである。
Slavoj Zizek: The Sublime Object of Ideology
●「重層的非決定」、ブログシステムを用いて復活。
●なっちのジジェク講座ほか、モーニング娘。の『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』講座シリーズUP。
●松浦亜弥をジジェクで読み解くあややファン必見のレビューUP。
●ドラマ「金八先生」を題材にした差別問題に関する論考、「差別問題の二重性」UP。
●ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』読書ノート「猥褻なる残余」。
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