大学「大衆化」状況における文化的再生産

1. はじめに

P. ブルデューを中心とする文化的再生産理論の語るところによれば、文化的な志向は世代を通じて受け継がれ(文化資本の相続)、それによって階層の世代的再生産(経済資本の相続)が行われるという。そして高等教育機関は、特定の文化を正統的文化として保持することによって、再生産に寄与しているものとされる。

一方それとは別に、大学の「大衆化」にたいする嘆きの声が現代日本においてよく聞かれる。「大学生は本を読まなくなった」。「大学はレジャーランドだ」。この事態は、しかし、再生産論的な立場から見れば、一部の階層の出身者による特定の文化の独占が崩れてきたともみなし得るであろう。いずれにせよ、大学はもはや正統的文化の守り手ではなくなったとされるのである。

この二つの大学観には大きな隔たりが伺える。この隔たりの間にあるものとして、まず想定されうるのは、時間的な変化と空間的な距離であろう。文化的再生産論が登場し、あるいは広まったのは1960年から1970年にかけてであり、しかも階級社会が根強くあると言われるフランスにおいてであった。もともと階級格差が少ないとされる日本において、さらに大学進学率が5割を伺うに至る近年においては、文化的再生産理論はもはや実効性を持つ理論とは言えないのではないか。

この点に関しては、1987年に4年制大学の学生を対象に、文化的再生産論に基づいた実証研究がなされている1。この研究では「学ぶことへの態度」、「言語能力」に関して、父職との一定の関連が見いだされた。すなわち、文化的再生産理論の仮説が、現代の日本においても一定程度当てはまることが示されたのである。しかし、「大学の大衆化」という文脈の中で、この現象を見てみるならば、ある程度当てはまる、という曖昧さを払拭する手がかりを得られるかもしれない。仮に、時の推移とともに関連の度合いが下がっていくなかで、一部関連が残っていると見られるならば、総体的には再生産理論が問題にした状況は解消されつつあるということになるかもしれない。再生産理論は、大衆文化の隆盛の中でその使命を終えるのであろうか。

本稿の目指すところは、かかる大衆化状況にある大学において、再生産理論が問題にした状況がいかなるものであるか、を若干のデータから推測する手がかりを得ることである。

当面この問題を考えるため、1. 出身階層間と文化的志向の関連は存在しているか、2.大学内で流通している文化は年を追うごとにいかなる変化をするか、の2点を中心に検討していくことになる。

あらかじめことわっておかなければならないのは、われわれのデータでは80年代以降のみならず、70年代に大学を卒業した学生に関しても、本調査の対象たる読書傾向において、出身階層間の関連自体は統計的に有意なものとしては出なかったことである。しかし、70年代から80年代にかけての出身階層別の読書傾向の変化のなかに、ある動向を見いだした。共時的な状態にではなく、通時的な動きのなかに調査におけるファインディングスを見いだしたということ、そのことから本稿の結論は見いだされることになる。

2. 調査の概要

2.1 データ

本稿で用いるデータは東京工業大学と京都大学の1969-1988年の理学部卒業生を対象としたものである。本稿においてはその年次的推移を追うため、1969年から1988年を5年ごとの4分割を時期区分として用いる。各コーホートのサンプル数は表0-1の通りである。

表0-1 卒業年コーホートごとのサンプル数
人数
パーセント
有効パーセント
73年以前卒
171
29.1
29.8
74-78年卒
141
24.0
24.6
79-83年卒
148
25.2
25.8
84年以降卒
113
19.3
19.7
573
97.6
100.0
欠損値
14
2.4
合計
583
100.0
100.0

また、本調査においては読書傾向を全12ジャンルに分類し、そのそれぞれにいったいどの程度在学中に読んでいたかを、「よく読んだ」・「どちらかといえばよく読んだ」・「どちらかといえばあまり読まなかった」・「あまり読まなかった」、の4つの選択肢で質問した。さらにそれを前者二つと後者二つで「読んだ」・「読まなかった」の二つの選択肢にリコードして各ジャンルの読書率とした。

なお対象者が理科系の卒業生に限定されている点については、本稿においてはむしろ好都合であると判断した。一般的に文化的な行動としてイメージされる読書とは文科系のジャンルのものであろう。文科系の学生ならば、あるジャンルの読書をした場合、それが趣味嗜好に基づく教養的な意味合いを持つものなのか、授業で必要な専門的な意味合いを持つものであるのか、切り分けは難しい。しかし、理科系の学生ならば、[専門書]とその他のジャンルとの意味合いの違いがはっきりしている。そのため、教養主義的な文化と専門重視の文化とが混同されにくくなる。

ここで注目するのは父親の学歴の違いが、本人の大学における読書傾向に与える影響の有無である。出身階層の指標として父学歴のみに着目したのは、以下の理由による。

ブルデューの再生産論においては、文化資本、経済資本双方を含み込んだ複合的な空間の中に階層は位置づけられている。しかし同時にまた、文化資本が相続される場を相対的に自律した存在として取り扱う視点も持っている。文化資本の相続を巡る闘争の様態を描き出す中に、彼の高等教育論は語られているのである。本稿が定める射程も文化の正統性に関する議論であり、経済資本に関する議論はとりあえず切り離すことは可能であろう。

またブルデューが用いた職業的な分類に関して、日本においてそれを階層と重ね合わせるのは必ずしも容易ではないと考えた。そこで上記の理由を含めて、経済資本を含み込んだ職業階層よりも、文化資本量の指標たる学歴を文化における階層と見なすことにした。そこで父学歴が旧制大学(大学院)、旧制高校・高専、新制大学を高等学歴、旧制中学・高等女学校・実業学校・師範学校、旧制高等小学校、旧制尋常小学校、新制高校、新制中学校を一般学歴としてまとめた。各コーホート・各階層別のサンプル数は表0-2のようになっている。

表0-2 学歴と卒業年のクロス表
一般学歴(%) 高等学歴(%) 計(実数)
73年以前
59.9
40.1
167
74-78年
61.0
39.0
141
79-83年
61.6
38.4
146
84年以降
55.8
44.2
113
合計
59.8
40.2
567

2.2結果

本稿の目的たる再生産仮説と大衆化仮説を検討する上で全体的な見取り図となるよう示したのが表1、1-1、および1-2である。

表1は各ジャンルのトータルの読書率を高い順に並べたものである。表1-1は4分割した時期区分から最初と最後の時期の各ジャンルの読書率を取り出し、前者の読書率から後者の読書率の差を算出したものである。また表1-2は父学歴が一般学歴である集団(以下、一般学歴出身層)と父学歴が高等学歴である集団(以下、高等学歴出身層)の各ジャンルの読書率を示し、後者から前者の差を算出したものである。

細かな分析及び解釈は後に述べるが、表1より、[専門書]、[教養書]の読書率が他との比較においてかなり高いこと、表1-1では[思想書]・[教養書]及び[外国文学]の読書率の減少傾向と[マンガ]および[趣味娯楽書]の増加傾向がともに顕著であること、また表1-2からは[思想書]と[外国文学]の読書率および[マンガ]の読書率における父学歴間の差はとりあえず確認できる。

表1読書率 表1-1 読書率の変化概要 表1-2 学歴別読書率
-73
84-
一般学歴
高等学歴
専門書
81.7
専門書
80.7
74.4
-6.3
専門書
81.7
81.3
0.4
教養書
70.6
教養書
78.9
57.0
-21.9
教養書
70.9
70.2
0.7
思想書
51.5
思想書
65.5
37.2
-28.3
思想書
48.8
54.5
-5.7
日本文学
43.7
日本文学
49.1
37.2
-11.9
日本文学
42.2
46.2
-4.0
マンガ
40.7
マンガ
28.1
62.8
34.7
マンガ
43.6
36.2
7.4
趣味娯楽書
40.1
趣味娯楽書
26.3
58.1
31.8
趣味娯楽書
39.1
4.7
-2.6
ノンフィク/ドキュメンタリー
35.7
ノンフィク/ドキュメンタリー
32.9
37.2
4.3
ノンフィク/ドキュメンタリー
34.7
36.9
-2.2
外国文学
33.2
外国文学
43.9
26.7
-17.2
外国文学
31.2
36.2
-5.0
SF
31.6
SF
23.8
29.1
5.3
SF
30.7
32.9
-2.2
推理サスペンス
30.5
推理サスペンス
29.2
27.9
-1.3
推理サスペンス
29.7
31.4
-1.7
歴史小説
23.5
歴史小説
26.3
23.3
-3.0
歴史小説
24.8
21.3
3.5
ビジネス
3.6
ビジネス
2.9
4.7
1.8
ビジネス
3.8
3.0
0.8

父学歴間の差異を中心に見るという本稿の目的からして、以下の分析は[思想書][外国文学][マンガ]を中心に、そして一般的な読書傾向として無視し得ないものとして読書率の高い[専門書][教養書]の動向を加えて、考察していくことにする。

3. 再生産論の仮説

表1-2で見たように父学歴の違いによって読書率に差があるジャンルがある2ことで、文化的再生産論のもっとも基本的なテーゼ−文化的な志向が世代間で受け継がれる−はある程度は裏付けられると見てよいであろう。

次に問題となるのは教育制度がこの再生産といかに関連を持つか、である。ブルデューの関心の中心の一つにもこの問題がある。

「二つの基本的事実を確認しておこう。まず一つは、さまざまな文化的慣習行動(…)が第一に学歴資本(獲得された免状によって量られる)に、また二次的には出身階層(父親の職業を通してとらえられる)に、きわめて密接な関係で結びつけられているという点であり、いまひとつは、学歴資本が同等である場合には、正統的分野から遠ざかれば遠ざかるほど、あれこれの慣習行動や選好の要因を説明する体系の中で、出身階層のしめる比重が増してくるという事実である」3

これが文化的な志向・行動と学歴・階層との関わりに関するブルデューの議論の出発点である。本稿においては父親の職業を父学歴に置き換えているが、基本的な枠組みは共通性を持っていると言ってよいだろう。ブルデューは、学校教育制度によって公認された「学校的」な知識と家族から相続した文化資本との間には相関関係があることを主張する一方で、両者のズレのなかに教育制度内部の闘争を見る。教育制度内部での相続文化資本の効果は、教育制度によってはさほど公認されていないジャンルにおいて、発揮されるのである。

表1より、顕著によく読まれている[専門書]と[教養書]は、表1-2より父学歴間の差もほとんどない。これらは専門教育科目、一般教養科目という大学教育と密接に関連したすぐれて「学校的」な文化であると言えるだろう。一方、表1-2において父学歴間の差が比較的大きかったジャンルは[思想書]・[外国文学]及び[マンガ]であるが、その中で[思想書]のみが読書率が5割を越えている。その意味で、[思想書]は相続文化資本の効果が大きいジャンルでありながら、教育制度(この場合は大学理学部)内部でもメジャーないわばもっとも正統的なジャンルであるといってもよいであろう。それに対して、[外国文学]と[マンガ]は大学教育に対してはいわば外部的なジャンルとして位置づけられよう。そして[外国文学]は高等学歴層の、[マンガ]は一般学歴層の読書率がそれぞれ高いことから、各々の相続文化資本に対応しているととりあえず仮定できるだろう。

再生産論の論理に従って、上の記述を整理し直そう。相続文化資本の違いによって、一般学歴出身層と高等学歴出身層との間には、一部のジャンルで読書率に違いが見られる。高等学歴出身層層は[思想書]や[外国文学]という一般的に威信の高いとみなされうるジャンルの読書率が高く、一般学歴出身層は[マンガ]という威信の低いとみなされうるジャンルの読書率が高い。また、すぐれて学校的な文化と結びつきが強いと思われる[専門書]と[教養書]に関しては、出身階層に関わらず、高い読書率を示す。

4. 大学大衆化の仮説

次に大学の大衆化仮説に関して、読書率の推移を示すデータを見てみよう。既に表1-1より、[思想書][教養書][外国文学]の読書率が減少していることと[マンガ]の読書率が上昇していることは確認した。この点を中心にもう少し丁寧にその変化を見ることにする。

まず出身階層に関わらず高い読書率を示した[専門書]と[教養書]の5年ごとの読書率の変化を表2-1に示した。

表2-1 [専門書]・[教養書]の読書率の変化
ジャンル
-73
74-78
79-83
84-
専門書
80.7
85.7
82.2
74.4
教養書
78.9
72.9
67.2
57.0

[専門書]は74-78年をピークに以降は少し減少しているが、その下げ幅は少なく、一貫して高い読書率を保っていると言えるだろう。一方、[教養書]の減少傾向は顕著である。ただ前に見たように、[教養書]の読書率は出身階層の差はなく、大学の「大衆化」の文脈でよりも、大学の「専門重視」(一般教養科目の軽視)の文脈で読むべきなのかもしれない。

次に高等学歴層の読書率が相対的に高かった[思想書]・[外国文学]と、逆に一般学歴層の読書率が相対的に高かった[マンガ]の読書率の5年ごとの変化を示したのが表2-2及び図2-2である。

[思想書]、[外国文学]ともに減少傾向にあるのがはっきりしている。とくに表1-1より、69-73年においては[専門書]・[教養書]に次いで高い読書率を誇った[思想書]は全ジャンルの7番目の読書率になるなど相対的な順位も下落している。一方目を見張るのが[マンガ]の読書率の上昇である。84年以降においては[教養書]まで抜いて[専門書]に次ぐ読書率を誇ることになる(表1-1)。マンガは数的には一躍主流文化の位置にまで上り詰めたとも言えるのである。

[思想書]に変わって、[マンガ]が[専門書][教養書]に並ぶ(あるいは凌ぐ)読書率を持つようになること、これは一般的な意味において「大衆化」現象と呼ぶことが可能であろう。

表2-2 [思想書][外国文学][マンガ]の読書率の変化
69-73
74-78
79-83
84-
思想書
65.5
55.7
40.8
37.2
外国文学
43.9
30.9
25.3
26.7
マンガ
28.1
35.0
44.8
62.8

最後にここで触れなかったジャンルの読書率の推移を概観しておこう(表2-3)。まず[趣味娯楽書]が伸びている。これは「大衆化」仮説に沿う傾向であると言えるだろう。また[SF]、[推理小説]が山形の推移を辿っていることが目に付く。娯楽用の読書として一時読書者数は増えたが、より娯楽色の強い[マンガ]、[趣味娯楽書]に押されて主流になりきれなかったということだろうか。

表2-3その他のジャンルの読書率の変化
-73
74-78
79-83
84-
趣味娯楽書
26.3
32.4
51.7
58.1
ノンフィク/ドキュメンタリー
32.9
38.1
37.0
37.2
日本文学
49.1
42.6
40.2
37.2
SF
23.8
37.9
35.1
29.1
推理小説
29.2
31.9
31.6
27.9
歴史小説
26.3
19.4
23.6
23.3
ビジネス
2.9
2.9
4.6
4.7

5. 「大衆化」状況における再生産

ここまでで、再生産論仮説、大学大衆化仮説ともにその傾向が一定程度データからも跡づけられることを確認した。そこで本稿の主たる関心である大学の大衆化と再生産との関連を見ていくことにしよう。

3節、4節より、高等学歴出身層の読書率が高い[思想書]と[外国文学]の読書率が全体的には下落傾向にあり、一方一般学歴出身層の読書率が高い[マンガ]の読書率が全体的には上昇傾向にあることがわかった。この事態をどう理解すべきか。まず論理的に第一に考えられるのが、一般学歴出身層の増加による大学の「大衆化」である。しかし実際には、各年度の一般学歴出身層の割合はほぼ一定あるいはむしろ減少している(表0-2)ことによって、この仮説は棄却される。

そこで次に想定されるのが、一般学歴出身層の文化を高等学歴出身層が受け入れる(あるいは一般学歴出身層の文化を持った人々が大学に進学するようになる)ことによる階層間の文化的差異の減少、であろう。こちらのほうは、大学進学率の上昇による学歴インフレが起こっているというわれわれの常識にも即した仮説であるといえるだろう。

表3-1

学歴別読書率の経年変化
-73
74-78
79-83
84-
外国文学 一般学歴
41.0
27.1
25.6
25.4
高等学歴
47.8
37.0
26.8
26.5
教養書 一般学歴
77.0
70.9
71.1
58.7
高等学歴
80.6
75.9
64.3
59.2
思想書 一般学歴
62.0
50.0
43.3
31.7
高等学歴
68.7
64.8
39.3
42.9
マンガ 一般学歴
27.0
36.0
53.3
65.1
高等学歴
26.9
33.3
30.4
53.1

表3-1は[思想書]・[マンガ]・[外国文学]・[教養書]の各ジャンルについて、父学歴別の5年ごとの読書率の推移の各読書率を父学歴別に見たものである4。そしてこの結果によって先の仮説も裏切られる。確かに[思想書]は高等学歴出身層にも読まれなくなってきているし、逆にマンガ文化は高等学歴出身層にも広がりを持つようになっている。しかし84年以降に関して[思想書]の読書率における父学歴別の差は、73年以前と比較して縮まっていないし、逆に[マンガ]は73年以前においては父学歴の影響などなかったのだ。[マンガ]の読書率に差が開いた分、父学歴間の差異はむしろ増えているとも言えるのである。また、マンガをもともと一般学歴層に親和性の高い文化だとは必ずしも言えないことにもなるだろう。マンガは79年以降になってようやく、一般学歴層に近い文化になったのである。

となれば、思想書を読む文化はともかく、マンガ文化を「相続された」文化として捉えるにはいささか無理があるかもしれない。そして、にもかかわらず、父学歴間の差は依然として存在しているし、むしろ広がってさえいる。3節のブルデューの図式を待つまでもなく、本人の学歴が等しい以上、ここでの差異を生じせしめているのは、親の世代から受け継いだ何ものかであるのは間違いないのである。

この点を見るために、読書率の変化の動向をもう少し詳細に見ていくことにしよう。図3-1は減少傾向にある[外国文学][教養書][思想書]の読書率の変化をグラフにしたもの、図3-2は上昇傾向にある[マンガ]の読書率の変化をグラフにしたものである。

一般学歴出身層において[思想書][外国文学]の読書率がはじめに大きく減少したのが、74-78年にかけてである。それに対して高等学歴出身層においては79-83年にかけて大きな減少が見られる。[教養書]も併せて79-83年における高等学歴出身層の読書率の落ち込みは顕著であり、一般学歴出身層との逆転現象も見られる。

一方、[マンガ]に関しては、一般学歴出身層の読書率の増加が著しいのは79-83年にかけてである。それに対して高等学歴出身層のそれは84年以降である。[思想書]他の減少にしても、[マンガ]の増加にしても、高等学歴出身層は5年遅れで一般学歴層の変化を追随(しかもより顕著な形で)することになる。

この結果を、大衆的な文化の受け入れは、それへの親和性がもともと高い一般学歴出身層において先に進行したと解釈することももちろん不可能ではない。しかし一般学歴出身層に親和性の高い「大衆文化」なるものの具体的な中身が、例えばそれをマンガ文化などに代表させるのが難しい以上、いまいちはっきりしないのである。

このデータから読みとるべきは、一般学歴出身層の変化に対する対応の素早さ、あるいは逆に高等学歴出身層の対応の遅れ、であろう。それも周りの変化など気にしないという超然とした態度ではなくて、周りの変化の後追いをする、そういう態度である。

6. おわりに

この調査では親の読書傾向自体を尋ねてはいない。具体的な読書傾向自体が世代間でどの程度直接的に伝達され、継承されるのか、については検討できなかった。しかし、かかる具体的な次元の再生産だけでは、再生産が常に完全になされることはないために、家庭外の状況に影響されて次第に差異は減少していくことになるだろう。実際、各階層が一堂に集まる大学において、一般学歴出身者が主導する文化が主流的な位置を占めつつある。大学に存在している文化という具体的な次元では、高等学歴出身層の主導する文化は確実に衰退しているのである。旧来の支配的な文化自体の再生産は失敗している。

しかし、読書率の差異はむしろ拡大している。従って世代間で継承されたのは、具体的にはどんな文化的状況であれ、その中で各階層性を維持しつづける諸行為を産出する態度なのではないだろうか。

この態度こそが、ブルデューがハビトゥスという概念で指示したものである。ハビトゥスとは静的な文化体系そのものではなくて、戦略性を帯びた性向の体系として概念化されているのである。再生産をこの次元で捉える限り、文化の中身の変化(大衆文化の隆盛など)があっても、再生産はなされ続けることになるだろう。

かくして階層間の差異は温存されることになる。しかしその解釈にはいささか注意が必要である。主流文化を上位の階層が維持し、下位の階層を排除するというモデルは採択できない。データが示しているのは、主導権が確実に「大衆」の側にあり、その変化の波に乗り遅れまいと押っ取り刀で上位の階層が後追いしているという状況なのである。従っていまや階層間の差異を拡大させるのは、上位の階層の積極的な戦略ではない。むしろ逆に一般学歴出身層の文化的状況への対応の早さが、高等学歴出身層を置き去りにすることによって、差異は維持されていると見ることができるのではないだろうか。

大学は確かに大衆化している。しかしそれは必ずしも「大衆的な」文化を身に付けた者が大学で多数派を占めたという意味であるとは限らない。既存の文化を権威あるものとして価値化する戦略よりも、新しい流れに乗る戦略が大学にまで行き渡ったこと、このような戦略レベルの転換と見るべきなのかもしれない。

(註)

1藤田・宮島(1987)。
2 ただし統計的な有意差が確認できるのは、通年ではカイ自乗検定の10%水準で[マンガ]の読書率の差、さらに1%水準では79-83年に時期を区切った上での[マンガ]の読書率の差のみである。この時期にだけ有意差が確認できるという点は5節で改めて考察することにする。
3 Bourdieu (1979) p.22。
4 なお本論では触れないその他のジャンルの動向をここで簡単に見ておくことにする。

表3-2は本文で触れなかったジャンルに関しての父学歴別の読書率の経年変化を示したものである。

表3-2学歴別読書率の経年変化(その他のジャンル)
 
-73
74-78
79-83
84-
SF 一般学歴
23.5
34.9
34.4
30.2
高等学歴
24.2
46.2
39.4
26.5
ノンフィク/ドキ 一般学歴
29.0
41.2
32.2
29.7
ュメンタリー 高等学歴
37.9
33.3
36.4
42.9
趣味娯楽 一般学歴
25.0
29.4
51.1
58.7
高等学歴
28.4
37.0
50.0
57.1
日本文学 一般学歴
47.0
37.2
40.0
42.9
高等学歴
52.2
50.9
39.3
34.7
推理小説 一般学歴
35.0
30.2
28.9
22.2
高等学歴
19.4
34.5
42.9
28.6
歴史小説 一般学歴
31.0
20.0
22.2
23.8
高等学歴
19.4
18.5
21.4
26.5
ビジネス 一般学歴
3.0
3.5
5.6
3.2
高等学歴
1.5
1.9
3.6
6.1

はじめに目を引くのは[趣味娯楽書]の上昇傾向であるが、一般学歴出身層、高等学歴出身層ともに滞りなく伸びており、[マンガ]のような父学歴による違いは特に見られない。

後、高等教育出身層において74-78年にかけては[SF]の、79-83年にかけては[推理小説]の読書率の上昇が目に付く。ここにマンガ文化に参入する以前の高等学歴出身層の享楽文化の傾向を見ることができるかもしれない。しかし、この二つのジャンルはいずれも84年以降には減少する。[マンガ]にその地位を奪われていくのである。

(文献)

藤田英典・宮島喬他 1987 「文化の階層性と文化的再生産」, 東京大学教育学部紀要,第27巻, 51-90頁.
Bourdieu. P. 1979石井洋二郎訳 『ディスタンクシオン1』藤原書店1989.
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