「いじめ」が教育問題として取り上げられるようになって20年近くになる。もはや、「いじめ」について新たに語ることは残されていなくても不思議ではない。「いじめ」問題の重要性、「いじめ」の原因、その解決策(被害者のケア、加害者の指導)などさまざまな論点に関して、心理学的な観点、集団力学の知見を取り入れた議論など、いろいろな角度からの言及がなされてきた。しかし、実際にはその出発点たるべき「いじめ」の定義の議論がいまだになされつづけているのである。いじめは明確に被害者のいる「問題」である。しかし、どのような行為が「いじめ」とされるのか、に関してはいまいちはっきりしない。第三者には遊びのように見えるものが、被害者の自殺を引き起こす場合がある、というとまどい、その一方で「いじめ」とされる行為の領域が無限大に広がりかねない懸念。さまざまな行為、事柄が「いじめ」と関連付けて語られうる。そのなかで、どのような行為、事柄を「いじめ」問題として捉えたらよいのか。こうした定義にかかわる議論を解きほぐす議論として、「いじめ」がいかに語られているかに着目するいじめ言説研究が挙げられよう。
「いじめ」などの教育問題、社会問題を「言説」を軸に見るというとき、二つの立場が想定できる。一つは構築主義に代表される、問題についての語りに着目する議論である。ある問題がいかに語られるか、そしてそうした語りがいかなる社会的意味を持つか、いわば外堀を埋めていく議論である。こうした議論がいじめ研究において必要となってくるのは、あまりに「いじめ」をめぐる議論が錯綜しており、「いじめ」を直接見ようとする試みが、かえって「いじめ」問題の持つ意味を取り逃がしてしまいかねない危険性があるからだ。こうした議論は、「いじめ」の外的な環境、たとえばマスコミによる報道あるいは教育政策などにいかなる影響を与えたか、すなわち言説のもつ社会的な効果に関して積極的な議論を展開していく一方で、そもそもの「いじめ」現象自体は考察の対象外とされていくことになる。しかし、「いじめ」が教育問題として言説編成されていく過程に着目するならば、こうした議論が「いじめ」現象自体を扱えないということにはならない。とりわけ、「いじめ」の問題化は、被害者の告発を契機としているため、言説への着目がかなりストレートに現象自体をとらえる道が開けている可能性もある。このような、言説編成にかかわる諸実践に主に着目していこうというのが「いじめ」言説研究の二つ目の立場となる。
今述べたように、両者の議論をつなぐのはいじめ被害者の告発である。この告発が告発としての意味を持つためには、二つのことがかたられなければならない。すなわち、そこ(いじめの現場)ではなにがあったのかということ、そしてそれが苦痛であった(「被害」を受けたと主張しうるものであった)ということ、である。言説分析の水準では、後者の苦痛(=問題)の存在証明が上の一つ目の立場に、前者の現象自体についての説明が一つ目の立場に関連している。となれば、さしあたりわれわれのなすべきことは、被害者の告発、語りに密着することであろう。そこではいじめの場がいかなるものであったのか、そしてそれがいかに苦痛であったのか、が一貫したものとして語られていそうなものである。
しかし事態はそう簡単ではない。われわれがいじめにかかわる言説を見ていくときに直面するのは、この両者(何があったのか、いかに苦痛であったのか)の間にある距離である。最初にわれわれが読むのは、その苦痛の甚大さである。いじめの告発が社会的に取り上げられたのは「自殺」を通してであり、すなわちいじめの苦痛とは死に値するものとしてわれわれは知る。しかし、ならばどのようないじめを受けたのか、そしてそれがなぜ苦痛であったのかとなるとそれがなかなか明確な形をとって現れてこない。苦痛がそこにあることはわかっているのに、その苦痛の源泉について言い当てられない、ここにいじめの定義にかかわる議論の困難がある。
被害者はなぜ、自らの苦痛をうまく表現し得ないのか。極端な場合、死という帰結を伴ってはじめてあらわにされる苦痛は、もっと早くに、適切に表現されえなかったのか。結論を先に言えば、ここで述べたいじめ告発の困難性は、いじめ実践(いじめるという行為)の持つ構造と不可分の関係にある。そしてこの両者をつなぐものがいじめ実践のもつ言説的性格である。いじめについて語る言説といじめるという行為が、同じ言説空間の中に置かれる。本稿は、こうしたいじめ言説の持つ二重性の中に、「いじめ」問題の持つ構造を明らかにすることを目指す。
「いじめ」が教育問題として、積極的に議論の対象となったのは1980年代の半ばであり、そのきっかけとして自殺という形をとったいじめの告発があった。実際にいじめを原因とする自殺が増えたのかどうかはおくとしても、「いじめ」が自殺とのかかわりで多くの議論を呼び起こし、警察庁や文部省も積極的にかかわる一大問題になったのは確かであるi。
とりわけ1986年の鹿川君自殺事件のように、被害者の遺書が公表されるケースにおいては、その遺書はいじめの悲惨さを告発する語りとして、大々的に取り上げられることになる。一方でそうした流れに対して、こうした言説はいじめを自殺と結び付けてしまい、かえって悲惨な結末(動機の付与;徳岡)を呼び込むのではないか、という疑いも提示される。
本稿が最初に着目するのも、こうした「いじめ−自殺」言説である。被害者の遺書をはじめとするこうした語りが、告発の語りとしてストレートに読まれなくなる(読むことが出来なくなる)そのこと自体の持つ意味に焦点を当てる。
「自殺」は一般的に何らかの社会問題(たとえば差別問題)の悲惨さを告発する際には、強力な(プラスの)意味を持つだろう。自殺は、決して尋常ならざる事態として、その事態の悲惨さを告発するだろう。ところが、もしいじめ問題において、「いじめ−自殺」が自然なものとして結びつき、告発としての意味合いとは別の意味を持ってしまうのだとしたら、そこに、他の社会問題とは異なる、「いじめ」問題の持つ固有の何らかの構造が現れているのではないだろうか。本稿は、ここを手がかりに、「いじめ告発」の言説の構造から、「いじめ」自体の持つ論理構造を明るみに出すことを試みる。
本章ではまず、「いじめ」がいかに問題化されたかを、いじめにかかわる言説分析を通じて、整理するところからはじめよう。この作業の中で、われわれは「いじめ」言説の持つある特徴を浮かび上がらせる手がかりを得ることになる。
いじめの発生件数を最初に数値的にあらわしたのが昭和60年度版警察白書であり、以後毎年「いじめで補導された児童生徒数」を公表している。それによると1984年は1920人、85年は1950人、86年845人、87年403人、と少しずつ減少していっている。その底は1993年の234人であり、94年になると372人、95年538人と増加、96年436人、97年310人と再び減少傾向にある。一方文部省の「いじめの発生件数」に関する調査結果は1985年155066件、86年52610件、87年35607件であり、警察白書の数値と同じ傾向を見出せる。こちらも発生件数が最小になるのは1993年の21598件であり、94年になると56601件と増大する。
一方、朝日新聞において見出しに「いじめ」を含む記事数は1984年15件、1985年178件、1986年229件、1987年57件、以後は7-33件と少なく、再び増加しだすのは1993年59件からであり(92年は18件)、1994年164件、1995年185件と先の傾向とは微妙なずれを見せる。
徳岡(1988)が指摘するように、社会における「いじめ」の定義付けの変化に伴って、発生件数も、記事数も左右される。とりわけ、「いじめ」が重要な「教育問題」として、警察庁や文部省に認知される以前と以後とでは、「いじめ」の発見もいじめ関連報道もその意味合いは大きく異なるであろう。従来はいじめとしては扱われなかったものが、「いじめ」の問題化によってことごとく「いじめ」として扱われてしまう、というのは当然ありうることである。実際警察白書における84年の数値は85年に「いじめ」が問題化された後に集計されたものである。したがって、「実際の」いじめの発生件数と、統計に表れる発生件数、新聞による記事数という三者の関連はまったくわからない。「84年は新聞ではほとんどいじめ関連の事件は記事にされていないが、<実際には>いじめ関連事件は既に多く発生していたのだ」、あるいは「86年にはもはやいじめは下火になっていたのに、新聞が一方的に騒いでいたのだ」といった実態と言説との乖離を主張することはできない。
ここで着目するのは、そもそも、「いじめ」はいかに(官庁、新聞レベルで)発見、問題化されたか、発見、問題化の契機は何か、という点である。先に見たように「いじめ」は2度問題化されている。一度目は85年、そして二度目は93−4年である。そしてその契機として既に指摘されてきたものとして「死」があげられる。
「いじめ」問題は官庁、新聞に言説の次元で「発見」される以前から、実態のみならず、言説として、既に存在していた。たとえば1983年に発行された『先生、涙をください』という本では、「いじめ」は既に体罰に並ぶ教育問題として取り上げられている。したがって「いじめ」が、官庁、新聞レベルでも問題化される素地というのは82年から83年の段階では、既に存在していたといっても良いだろう。ただそれが現実のものとなるのは、85年1月の中2少女の自殺以降である。実際にはそれ以前にも「いじめ自殺」と呼び得るようなものはあったかもしれないし(既に「いじめ」が問題化された85年5月時点で警察庁は84年分の自殺者を7人と発表)、逆にこの中2少女が果たして本当に典型的ないじめによる自殺者だといいうるのかもわからない。ただそのことの正確さ自体はどうあれ、一旦いじめによる自殺だと大々的に発表されたその後、「いじめ」は官庁、新聞レベルでも広く問題とされるようになったのは確かである。
こうして「いじめ」は自殺に伴われて広く問題化された。そしてその中でもとりわけセンセーショナルに取り上げられた事件が1986年2月に起こった鹿川君の自殺である。この年、いじめ関連記事は最高の229件に上ることになる。しかし、一旦それは収束を見せる。既に86年9月にはいじめ事件は減少の兆しにあるiiと報じられるiii。そしてその後、「いじめ」と「自殺」がひとつの記事見出しに並ぶことは93年までほとんどなくなるのである。
しかし一旦途絶えたかに見えた「いじめ」関連記事は93年以降再び増加する。とりわけ94,95年には、85,86年以上にいじめ自殺事件が取り上げられる。
「いじめ」が問題として広く取り扱われるには「自殺」が重要な契機をなしたのはたしかである。それまで隠蔽されていた学校内での「いじめ」の存在が浮き彫りになったという点では、自殺は確かに「告発」の意味を持っていたとはいえるだろう。しかし他方で「いじめ−自殺」の結びつきをありうべき結末として受け入れさせる(被害者、加害者、観察者すべての中に共通してある)自然さを「いじめ−自殺」言説はもたらしてしまう危険性も内包している。有効な告発は自殺以外のやり方によってなされなければならないはずだし、実際この両者の切り離しの努力は、教育関係者からマスコミ、行政、さまざまな場で常になされてきたのである。しかし90年半ばにいじめが再び話題として取り上げられるのは、またしても自殺に関連付けてであった。
<死>がもっともセンセーショナルにその問題性を理解させる道具=手段となるのは、「いじめ」に限らず、社会問題一般において言い得るだろう。ただ、その場合には、そこにまで至らしめた<原因>がすでに自明のものとして存在していて、その存在を告発する、という意味合いでなされるであろう。たとえば差別問題の告発において、<死>が持ち出されるとき(自殺であれ、他殺であれ)、問われるのは「差別者」、社会状況、政治、などなどであり、本人、その親族が自殺の原因として問われることは少ないだろうiv。ところが「いじめ」においては、「いじめによる悲劇をなくそう」という「いじめ告発」の言説においてなお、被害者やその親族が問いにさらされることが多いのである(なぜ死んだのか−もっと強くなれ、なぜそこに至るまで気づかなかったのか、など)v。
つまり、「いじめ」問題においては、「自殺」は、悲劇性を証明する道具=手段としての<死>(個人にとって一般的にもっとも悲劇的な結末)とは異なる意味を持っているのである。それが何かを課題として念頭に置きつつ、一旦収束した後の「いじめ」言説の推移を見ていくことにしよう。
一旦収束したかに見えた「いじめ」が再び問題化されたのは90年代半ばからである。その契機となり得る「有名な」(つまり大々的に報道された)事件が2件ある。ひとつは1993年1月山形マット死事件、そして1994年12月大河内君自殺事件である。
ただこの両者の「いじめ」関連の盛り上がりにはかなりの差がある。93年の1月に起こった山形の事件を含む1993年のいじめ関連記事は59件であるのに対して、94年12月に起こった大河内君の事件を含む1994年のいじめ関連記事は164件(この中に山形マット死事件関連の記事は一件もない)、しかも12月以降の記事は119件にのぼるのである。1995年は大河内君事件に直接関連しない記事だけでも160件を超える。同じ「いじめ−死」の結びつきにおけるこの差は着目に値しよう。
「死」が何にも増してセンセーショナルに取り上げられうるのは一般的に言いうることであるとしても、「いじめ」においては、「他殺」ではなく、「自殺」とのかかわりで記事数は激増する、ということだ。「殺すほどのひどい暴行」より「自殺するほどの苦しみ」のほうが、いじめ言説においては大きな意味を持っている、ということである。つまりいじめ言説においては、ほかの逸脱問題とは異なり、「加害者」の行為ではなく、「被害者」の行為から(こそ)問題化されるということなのである。
ここには「告発の言説」一般とはことなる言説が立ちあがっているといえるだろう。加害者ではなく、被害者のほうを問う言説、それは、問題自体について(そこでは何がなされ、今後どう解決されるべきか、など)語る言説とは異なった構造を有している。もし問題*について*語るのであれば、その「原因」たる加害がわにこそ、視線が向かなくてはならない。では、ここに立ち上がっている言説は、いったいいかなる言説であるのか。
「いじめ」が加害者の「暴行」ではなくて、被害者の「自殺」に主に焦点が当てられて語られ出したことは前章ですでに述べたとおりである。すなわち「いじめ」言説が<問題化>されたのは、加害者の行為(「いじめ」る)が逸脱だから、ではなく、被害者の行為(その極端な形が自殺)からなのである。
「いじめ」問題は、教育問題でありながら、加害者の「逸脱」の問題としてではなく、むしろ差別問題などに並べられるものとして、被害者の救済を目指すべき問題として、始まったのだとも言ってよいだろう。そしてその意味では「いじめ」言説が、被害者が確かにそこにいるという問題の存在証明から始まるのは当然ではある。しかし、この言説はそこにとどまらない。被害者の存在を指摘するのみならず、被害者の行為を問いに付す。すなわち、被害者を対象とした語りが、悲惨な事実の指摘・告発にとどまらない何らかの意味を持ってしまっているのだ。ここでは言説の働きに関して、単に現象*について*語るのとは異なった働きを見ることになる。
言説が単に問題について語るだけではなく、むしろ問題の中にあって、問題それ自体を構成している、という考え方は、構築主義をめぐる論争やフーコーのディスクール論に慣れたわれわれには、もはや奇異なものとは感じられないであろう。
もっとも、上の言説の捉え方は、具体的にはなかなかイメージしにくい。実際このような言説論を展開する理論は数多くあり、統一したイメージで捕らえることは難しい。ここでは「いじめ」の言説研究を、上の言説分析の立場で行っている山本雄二の議論を取り上げておこう。
山本は鹿川君の遺書を取り上げて、以下のようにまとめる。
「むしろS君は自らの死をいじめ言説に投ずることによっていじめ言説を完成させたというほうがぴったりくる。構造主義者ふうにいえば、いじめ言説はS君の死によって自らを語ったのである」(山本,1996)
「いじめ=死」という物語が、この場に混入し、「いじめ」言説完成のひとつの要件として、被害者の「死」が用意される。
こうした山本の議論は、言説と実践の結びつきについて有力な知見を提示してくれている。言説とは実践がいかにあるかを記述するのみならず、言説編成そのものが実践的性格を帯びるのである。
さらに山本は、言説と実践の関連について議論を進める。その際に山本が用いている概念のひとつが「主体化」である(1999)。山本はこの概念をアルチュセールのイデオロギー論から持ってくる。山本とともにアルチュセールの一節を読もう。
「イデオロギーは呼びかけというきわめて明瞭なあの操作によって、諸個人の間から主体を<徴募>し、また諸個人を主体に<変える>ようなやり方で<作動>し、<機能>しているのだ」(Althusser,1970)
イデオロギーの呼びかけに伴う諸個人の主体化、ここにアルチュセールはイデオロギーの実践的な意味を見出すのである。つまり言説は、それに答える具体的個人の担う「主体」がいて、具体的な実践の場に存在する支えを持つのである。そしてこの言説の中にあらかじめ準備されている「主体」の場は、担い手が現れるまでは「空白」として残される。
「おい、そこの君!」
「君」=「空白」
この「空白」へ誘い込まれて具体的な個人が振り向いたとき、彼は<主体>となるのである。逆にいえば、そうした<主体>が位置付けられて、初めてこの語りは完成する。こうしたアルチュセールのイデオロギー論のモデルを用いれば、「いじめ−自殺」言説における被害者の位置付けは以下のようなものとして読むことができる。すなわち、被害者は「いじめ」言説の空白の中に自らを投じ入れることによって、「「いじめ」(自己と社会)を語る主体として肯定的に位置付けられた」(山本1999)、というのである。ここでは「いじめ」言説の呼びかけに対して応答すること自体は、告発の契機として肯定的に位置付けられている。問題はその応答の形態として、<死>が混入してきたことだとされるのである。
こうした「呼びかけ−応答」モデルは、言説が実践的性格を帯びる際の、言説の持つ構造のモデルの一つを示したものといってよいだろう。
山本の議論は、「いじめ」言説における「呼びかけ−応答」を、告発一般の言説と等価なものと想定している。そして苦痛の証明としての<死>が「いじめ」と接合される言説上の編成が主たる問題とされる。しかし、差別告発の言説一般においても<死>は苦痛の証明として、現実に使われてきたのだ。ならば問うべきは「いじめ−死」の接合よりもむしろ、告発一般の言説とは異なる「いじめ」言説固有の「呼びかけ−応答」の形式ではないか。
この点を中心に、もう少し「いじめ」言説における「呼びかけ−応答」モデルの議論を進めて見よう。
「これはいじめだ」
なんらかのいじめに関する語りが、呼びかけとしての意味を持つとすれば、言説の中に呼びかけの対象が置かれることになる。そしてこの呼びかけの対象は、以下のように加害者側、被害者側、二通り想定できる。
被害者の存在証明から始まる差別問題言説は、2)を問題の存在確認の支えとして残しつつ、その問いかけの中心は1)の形態を取ることになるだろう。ところが「いじめ」言説においては、2)の問いかけが、「自殺」という被害者の存在が明確に示された後も、なされつづける。「いじめ」言説は、差別告発の言説と同様の形をとって始まりながら、被害者への呼びかけ「君はいじめられている」が反復されつづけることになる。問題は二つある。
何故いじめにおいては、自殺にいたるまで、あるいは自殺にいたってなお、先の被害者への「呼びかけ−応答」が完結しないのか。いいかえれば、被害者は何故呼びかけに応じることによるいじめに対する有効な告発を、自殺をもってしてもなお、なしえないのか。
この「呼びかけ」の反復が、被害者の存在証明以外の意味を持っているのだとしたら、それは何なのか。その意味が、告発の言説以外に由来するのであれば、それは何に由来するのか。
上の疑問に答えるためには、まだいくらかの段階を踏む必要がありそうである。まず、「いじめ」言説が、いかなる場においてその実践的性格を持つかに関して、いま少し議論を進めることにしよう。言説を、問題を構成するものとして捉えるとき、言説の存在し得る場は、問題を後から語る場だけではない。問題と同時に言説は*すでに*存在している、すなわち問題の中にも、言説の場は用意されているのである。すなわち、言説の居場所として、次の二つの場を想定することができる。
言説を見るにあたり、まず初めに想定されるのはAの場であろう。「君はいじめを受けていたのか」という問いかけであり、問い掛けるのは第三者、具体的には教師であったり、親であったり、マスコミであったりするだろう。多くのいじめ研究がまず着目したのはこのAの場の言説であり、また山本が想定する「いじめ」言説もこの場において成立していた言説であった。そして「いじめ−自殺」の関連はこの場の分析の中で見出されたものである。この場においては、いったん「問題」の所在が確認されるや、「問題」を問題にする限り、引き続いてその問題の原因たる「加害者」の側にその焦点が移らなくてはならない。しかし前章で見たように、この言説が、「問題」をもはや問題としなくなり、その意味を変えてしまっているのだとしたら、そこに告発一般の言説とは異なる「いじめ」言説の持つ固有の構造を見ることになるだろう。
Aの場は、「いじめ」が起こったその後の「いじめ」*についての*言説の場であり、そこにおける「実践」も「いじめ」実践そのものではない。そこでわれわれはさらに歩みを進めて、B「いじめ」実践の場における言説の働きの着目することにしよう。この場における言説は、告発の場以上に「いじめ」現象をリアルに指示してくれると考えられるからである。この場における言説の実践的性格を見ていくことで、「いじめ」実践の持つ構造の一端を明らかにしていく手がかりを得ることが出来るであろう。
いじめはどのようにして行われているのか。いじめはどのようなものとして被害者に苦痛を与えるのか。ある行為が「いじめ」としての意味を持つのはいかなる場合においてか。つまり、「いじめ」とはいかなる実践であるのか。
まずはいじめ実践の場の構造を記述しようと試みる森田・清永の記述を見てみよう。
「いじめ集団がいじめっ子(加害者)−いじめられっ子(被害者)の関係だけでなく、これをはやしたておもしろそうにながめている子(観衆)と見てみぬふりをする子(傍観者)という四層構造からなっている」(森田・清永,1986, p.131)
いじめが直接的・積極的な行為だけでは定義し得ないということ。そして加害者は直接的な行為者のみならず、まわりにいる子たちすべてにまで広がりうるのである。こうした記述は確かにいじめ実践の場の実感を適切に表現しえているだろう。現に、かかる実感は、アカデミズムの場で指摘される以前から、すでにしばしば表現されてきたことである。
「シロウを傷つけたのはヒトシ、トキオ、サトルの「いじめ」グループだけではなくて、そのまわりではやしたてていた子たち全部であること−この構造は、そっくりそのまま「いじめ」構造だとは言えないか」(保坂,1983)
しかしこうした事態は、いじめの記述をいっそう困難にする。加害者、そして加害行為は際限なく拡張しうることになるのである。
既に多くの論者に指摘されているように「いじめ」と呼ばれる行為は、一つ一つを具体的にあげつらえば、限がない。逆に、「いじめ」の中に見られる行為を単独で取り出したとしても、その行為自体は「いじめ」とはまったく異なったカテゴリー(喧嘩、いたずら、遊び)で適切に言い当てられる場合もある。具体的な加害行為の中に「いじめ」を見出すのは困難なのであるvi。
こうしたいじめ実践の場における加害者の「不在」は、告発の場における加害者の不在と連関している。仮に被害者に「あなたはどんないじめを受けましたか」と問うたとしても、被害者は自分の受けたいじめ行為全体を明確に説明するのは難しいだろう。「些細な」行為を列挙したとしても、聞き手は「なぜそれが苦痛だったのか」とさらに問うことになるだろう。結局、加害者の行為において自らの受けたいじめが説明できないならば、被害者は自らの苦痛においていじめを説明しなければならない。こうしていじめ言説においては、加害者ではなく、被害者が問題化されていくことになる。しかし、被害者が上の事情によって自分の受けた加害行為の説明に失敗するとしても、自らの苦痛の表明によって「いじめ」の存在を告発可能なはずである。これはつまり、先の言説の問いかけ「君はいじめられている」に対して真っ向から応答することである。しかしここにこそ、いじめ被害者の困難が存在するのである。そしてこの困難は「いじめ」実践の構造と深くかかわっている。そこで再び本章の冒頭の問いに戻る。「いじめ」は加害者の行為の集積としては現れてこない。にもかかわらず、「いじめ」は現実に存在している。となれば、そこに存在している「いじめ」とはいかなる実践であるのか。
加害者の具体的な行為とは異なった次元に見出される「いじめ」実践、それを炙り出すべく、二つの言説を見てみよう。
私が親友の麻己ちゃんから「あの3人のしていることはいじめだ。3人がそう言った」ということを聞いている時、母が入ってきて、「上野先生に、今までされたいろんなことを聞いてもらったらどうか」と言いました。わたしは、今まで相談したとき、上野先生はとってもよく私がなにを思っているか分かってくれて、心がすっきりしたし、今度も上野先生に聞いてもらおうと思って、すぐに「そうして」と電話することをOKしました。・・・私ははっきりと、「ううん、私は上野先生に今までのことがいじめだって気づいたことを全部聞いてもらうわ。前も先生に相談したやろ。よかった、上野先生がいて。本当よかった」と言いました。
ずっと考えてみれば、私が今までされてきたことは「いじめ」以外の何物でもない。私が気づかないように冗談のように上手にする。とっても巧妙な、とってもひどいいじめだ。今までのことが思い出された。いじめだと気付いていなかった。あわせてどんなひどいことをされても笑っていた自分がとてもくやしくて、みじめで、もう涙がとまらなかった。(土屋,1993)
彼女のいじめ告発は、親友から自分がいじめられていると指摘されたのをきっかけとして、「いじめだって気づいたことを全部聞いてもらう」と決意したところから始まる。それ以前の6月から翌年の2月初旬までは、いじめだとは認知してこなかったさまざまな行為が彼女にとって「いじめ」と映ることになる。彼女は親友の指摘(「君はいじめられている」)によって、はじめていじめ<被害者>になったのだvii。
彼女が実際にさまざまな行為をされたのは「気付いていなかった」8ヶ月間にわたってである。しかし彼女がくるしむのは、もっぱら気付いた後の2ヶ月間、いじめ告発を行っているときである。具体的になされた行為ではなく,そうした行為が「いじめ」であったということが彼女を苦しめるのだ。
この例は「君はいじめられている」の呼びかけに答えない限り、いじめられていないものとして、やり過ごせる場合があることを示しているといえるだろう。逆に、加害者側の行為だけではいじめは完結されず、「君はいじめられている」の呼びかけがあってはじめて、さまざまな行為が「いじめ」として可視化されるということだviii。
「私、まだ現役を脱しきっていないんだ」
また力ない声で、アキコがつぶやく。昨日、電車に乗っていたら、偶然に中学のときアキコをいじめていた男子が、彼の今の高校の友達と一緒にどかどかと乗り込んできた。
そんな時、とっさにアキコは目を伏せてしまう。(保坂1983)
「中学のときアキコをいじめていた男子」が改めてアキコをいじめるかいなかは、アキコにとっては既に問題ではない。といって、彼女はこの場において、単に過去のいじめを思い出している、というだけではない。まさに彼女は、今この場において、いじめ<被害者>の立場に立たされているといってよいだろう。いまや、この場において生起している「いじめ」は、被害者・加害者の相互行為の産物だとさえ、いえないだろう(相手はいじめを傍観をしているわけでさえなく、恐らくアキコの存在に気づいてさえいないのだから)。「いじめ」は被害者の中で完結した状態でも反復されうるのである。
上の二つの言説は確かに「いじめ」の存在について語っている。そしてここで描かれている事態が確かに「いじめ」であることを了解可能にしているのは加害者の行為ではなく、被害者の苦痛である。こうした被害者側の主観的な認識においてしかいじめの定義は困難であるという指摘は森田・清永以来、いじめ研究の前提となっている。本稿も基本的にはその前提に異論は無い。ただその主観は、被害者個人の心理的な次元で完結するのではない。あるいはまた被害者の訴えを聞く観察者によって事後的に存在が確認されるにとどまらない。ここで指摘したいのは、「いじめ」被害者が確かにそこにいるということが、とりわけ「いじめ」を行う側にとって、まさにその実践の場において、欠くべからざる要件であるということである。いじめが<適切に>行われるためには、それにかかわるさまざまな行為に「<被害者>の生産」という意味が付与される必要がある。つまりいじめ実践は被害者の主観に呼びかけることによって、現出されるというわけだ。
殴る、蹴るなどの暴力においては被害者は容易に生産される。しかし、たとえばシカトにおいても、それがいじめとして行われる限りにおいて、<被害者>は生産されなければならない。さもなければ、それは「いじめ」ではなく、ただ「会話をしない」という行為の不在に終わるからである。
「ある人をいじめる」という行為を成立させるためには、仮にそれがシカトのように第三者からはその行為の存在が明確になりにくいものであったとしても(そしてそれは加害者にとっては都合の良い隠蔽である)、なおかつ、その行為は被害者には明確に「いじめ」であると認識されなければならない。いじめという実践が成立するということは、いじめる対象がいて、それに対して何らかの行為を行うということであり、いかなる行為であれ、そこに被害者が生産されなければならないが、逆に被害者が生産されさえすればどのような行為でも(<被害者>のほうを見てくすくす笑う、といった取るに足らないような行為までもが)「いじめ」たりうるのである。したがって「いじめ」による苦痛とは、殴られた痛み、口を利いてもらえない寂しさなど具体的な苦痛を捨象してなお残る何ものかであり,それは「自分はいじめられているのだ」という確認に由来するものなのである。
要するに「いじめ」という行為は、B「君はいじめられている」の「君」を<被害者>として主体化することによってはじめて、その行為としての意味を持つのだ。
「君はいじめられている」
「いじめ」実践の場では、さまざまな行為が上の問いかけの反復となる(笑い声でさえも)。そしてそれに「君」が応答したとき、「いじめ」は完成する。
「いじめ」の告発は、加害者の行為によってなすのが難しい以上、その成否は自らの苦痛を述べることにかかっていることはすでに述べた。そしてこの苦痛の表明は、そのまま「いじめ」の呼びかけに応答する、ということになるのである。それはいかなる帰結をもたらすのであろうか。
現実にさまざまな応答とそれに伴うさまざまな帰結があったし、またありうるだろう。いじめ加害者との対決、自殺による告発、教師・両親に助けを求める、学級会などに伴う問題提起など。そしてこのとき、舞台はいじめ実践の場からいじめ告発の場へと移行することになるだろう。ただこの移行がいじめ実践の場の終結をもたらすかどうかはまったく保証の限りではないのである。
いったん自らを「いじめ」<被害者>として位置付けてしまえば、それ以前には別の解釈(「単に口を利きたくないだけなのかも」、「ちょっと機嫌が悪いだけなのだ」)をなし得たさまざまな行為がことごとく自らに対する「いじめ」行為であると解釈せざるを得なくなるだろう。彼(女)はいわば完成した「いじめ」にさらされつづけることになる可能性がある。このリスクと告発の成功の可能性との兼ね合いで、応答するしないは決定されるだろう。そして自殺という手段が間違いなく、物理的にいじめ実践の場の終結をもたらすという意味では、ひとつの(有力な)手段として被害者の目に映じることも、さして不思議なことではない。実際、自殺までは行かずとも、告発それ自体が「いじめ」の反復を含意してしまう構造をもってしまうならば、いじめ被害者にとって自らの取りうる道は極めて限られたものと映じることになるだろう。さらに、加害者にとっては逆に、自殺=被害者の抹殺は「いじめ」の完成という意味を持つ場合さえあるix。この場合、自殺によっては「ひとつの」いじめしか終わらず、告発としてはまったく無意味だということになる。
ここにおいて、奇妙な反転が起こっているのである。苦痛を表明し、「君はいじめられている」という呼びかけに応答すること自体が、 <いじめ>に荷担することになる。したがって被害者は<被害者>となることを拒否するべく、告発の場の呼びかけに応答することをも躊躇することになるだろう。彼(女)は自ら、いじめ告発者としての<被害者>の位置に立つことをも拒否し、いじめの隠蔽に荷担する。
この場合、<いじめ被害者>の場所も「空白」のまま、残されることになる。「いじめ」言説は<加害者>、<被害者>ともに不在のまま、反復されつづけることになるだろう。
「いじめ」言説は、同じ呼びかけ「君はいじめられている」が、実践の場、告発の場双方においてなされることによって、すなわち、その二重性において、
という特徴を持つことになるのである。
いじめをめぐる言説編成・葛藤は、被害者の告発=問題化とはいささかずれた経緯をたどることが多い。いじめの問題化、顕在化が必ずしも被害者によって積極的になされるとは限らないのだ。このためにいじめの告発は、告発者の意図とは全くずれた方向へ進んでいくことだろう。ひとつには、訴えがない以上、それは存在しないものとして葬り去られる場合があるだろう。しかし、それにとどまらないのだ。仮に何らかの形で顕在化されると、今度は「なぜそれに周りは気づかなかったのだ」と被害者と周囲(親や教師)との関係(信頼の欠如)が問われることになりかねないのだ。
本稿は、「いじめ被害者」のおかれた困難を、いじめ言説の持つ二重性の中から説明する試みである。これは「いじめ被害者は、何故自ら告発しないのか」「被害者は何らかの告発をしていたはずなのに、なぜまわりは気づかなかったのか」という被害者およびその関係者にたびたびつきつけられてきた問いを無効化しようという試みを含んでいる。
関係事件は4割減、自殺は半減
校内暴力増える」(朝日新聞,
1986年9月)
iv もちろんそれとは違った文脈で、つまり「差別をする」言説の文脈で、彼らを誹謗する語りはなされつづけるだろう。差別問題がいじめ問題に比べて単純だ、といいたいわけではもちろん無い。
v 「被害者」の方が問われてしまう点に関して、同様の指摘は性犯罪の場においてもなされる。本稿では詳しくは述べないが、性犯罪の場においても、加害状況と告発状況(報道や裁判など)における言説構造の同質性を指摘することもできるだろう(加藤,
1998)。
vi 「いじめ」を具体的な行為によって定義づけるのではなく、「文脈の効果」として捉える視点から、言説的実践の中に見出そうとする試みは石飛(1999)においてすでになされている。石飛はこうした文脈が具体的行為の次元で相互行為的に達成される様を研究していくことを提案する。本稿はかかる達成モデルとは異なるモデルを提起する。達成モデルの難点は、諸行為が「いじめ」になる論理的な瞬間を問わざるを得なくなり、具体的行為と定義との関連が再び議論の遡上に上ってしまうことだ。
vii もとより、このように述べたからといって、彼女がそれ以前は「実際には」いじめられていなかった、といっているのではない。いじめは紛れもなくそこにあっただろう。彼女は自分がいじめられているのを<わかって>いたから、親友の指摘を受け入れたのであり、親友から「それはいじめです」と言われて、「自分がいじめられているというのは本当だ」ということを<再認>するのである。
viii 日記では、加害者の一人が教師から被害者である彼女に対して「いじめではなかった」と言うよう迫られるが、それに頑として従おうとしない様が記されている。加害者にとってもあの行為はいじめでなければならなかったのだ。
ix 「うちの近所で本気の“自殺未遂”をした子がいてさ、そのこのことが新聞に出ちゃったのね。私は長く欠席していたし、学校中であの新聞に出ていた"自殺未遂"の子はアキコだっていううわさが広まっちゃったのよね。あれはまいったなあ。私がひさしぶりに学校に行くと、
「やーい、死にぞこない」
「なんでお前、死ななかったんだ」
という声が男の子達から面白半分に出てきたんだ」(保坂1983)