いわゆる一つの革命論−あるいはミネルバの梟を撃つために

I個人と社会

彼が自分の生命を賭して、この三人の処刑に反対したとすれば、その結果が同じように三人の兵士が処刑されていったとしても、やっぱりぼくは、それは同じではないと思う。歴史が変わるということは、そういうことだと思うんですね。そのときに、何ひとつ変化はなかったにしても、このことがなかったのとあったのとでは、非常に違うだろう。それを見ている人間がいたわけです。

池田浩 『文化の顔した天皇制』

社会が先か、個人が先か。このことは古くからしばしば論じられて来た。そして十九世紀に「社会有機体説」がとなえられて以降、現在の社会学においては一般に社会が論理的に先行すると考えられている。そこでは個人は社会という機械の一部として考えられることになる。ここにおいて社会を総括的に取り扱うことが可能になったわけだが、ここで問題になるのは、個人は果たして社会に還元し尽くせるものなのかどうかということである。社会を論理的に先行させ、社会関係からすべてを説明しょうとするとき、我々のふだんのなにげない生活や感覚を見落とすことがある。社会がある一定の方向に動いているようなときにおいても、個人はしかし、主観的には、それから独立してみづからの意志で自分の行動を決めるであろう。このときその状況に応じた行動するかどうかは全く個人的な問題である。もとより我々がふだんから社会的な事象に関して我々個人の意志ではいかんともしがたいものを感じることがあるのは現在の選挙制度を見ても明らかであり、現に社会が我々の意志に反した動きをすることがある以上、我々にとって社会は外在物として立ち現れざるを得ない。こうした、個人は社会に還元し尽くせないが、社会は個人の総和以上の存在であるというこのパラドックスがここでの主題となる。

マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」に「人間の本質とは、社会的諸関係の総和である」という一文があるのを見るとき、マルクス主義においては明らかに個人より社会が論理的に先行しているものと考えられる。しかし、『ドイツ・イデオロギー』において「われわれがそこから出発する諸前提は、けっして手当たり次第のものでもなければ、教条でもない。それは空想の中でしか無視し得ないような現実的諸前提である。それは現実的諸個人であり、彼らの行為と彼らの物質的生活諸条件―既成のものであれ、彼ら自身の行為によってうみだされたものであれ―である」とあるのをみれば、マルクス・エンゲルスの思想においては物質性を捨象した社会ではなく、物質的存在たる現実的諸個人の方を論理的に先行させるべきであるように感じられる。このようにマルクスの思想ひとつをとってみても、「社会が先か、個人が先か」というこの問題は決して簡単には結論づけられないことは明らかだろう。(中略)

超越的存在を認めない唯物論の立場からすれば、すべての出発点は我々にとっての現実的な「物質」である。もとよりこの時「物質」といっても原子から出発せよといっているわけではない。現実に生きている諸個人の生活世界から出発するということである。したがって前にも述べたように諸個人の抱いている主観的意識は「物質」的存在である。ここで問題になるのは主観は既にして、しかし、社会的存在だということである。諸個人は物質的には自ら主体として関係を取り結んでいるにもかかわらず、そこで取り結び得る関係は既に社会的に拘束されている。つまりここにおいて物質的世界から相対的に独立した世界を想定することができる。今ここに世界を二元的に把握することができよう。すなわち諸個人の主観も含めた物質に規定された現実的物質的土台、そしてその社会関係における物質性を捨象した上部構造である。

ここでは一般に言われている「現実的土台」「上部構造」の定義を大きく踏み越えることになる。両者を次のように定義し直そう。土台とは物質的に規定され、先行する社会関係に通時的に規定される「構造」であり、その構成要素は実体的同一性をもっている。それに対して上部構造とは土台における現実的な社会関係に共時的に規定される「構造」であり、その構成要素は他との関係において差異的に規定されることになる。  現実的土台においては諸個人に超越した関係を想定することはできず、あくまでも諸個人が関係を取り結んでいる。ところが上部構造においては社会関係は固定化しており、諸個人はその社会関係の担い手として存在するに過ぎない。

そこで現実的土台から出発しつつ、土台と上部構造とのかかわりを説明する概念が「物象化」である。ここにおいて物質的には社会関係を構成する主体たる諸個人が、しかし一定の社会関係の担い手となる論理的必然性が示されるのである。

まず物質的諸個人がある一定の社会関係を既に取り持っているところからはじまる。この社会関係は個人としてかかわっている限りは流動的なものでありうるが、巨視的には固定的なものである。この社会関係は一人一人の諸個人と比べてあまりに巨大であるため、諸個人の意志をごく一部しか反映し得ない。したがってこの社会は諸個人から自立したものとして立ち現れて来ることになる。つまりここでは諸個人の意志は捨象されている。こうして諸個人的物質的要素を捨象しつつ、普遍的形式を獲得したのが物件である。物件は諸個人の取り結ぶ関係の上に成り立っているにもかかわらず、諸個人の意志を超越しているため、主観的にはその存在自体が諸個人とは無関係な自然的なものと仮象される。物件は現実世界においては物質的形態を取るため、物件の性質は社会に規定されるのではなくてその物質に由来するものと考えられることになる。例えば国家とはある社会関係の物象化形態に過ぎないのにしばしば実体視され、「お国のため」という言説が力をもったり、逆にすべての矛盾が「国家」に押し付けられたりするのである。

このように社会におけるさまざまな事象はいかにそれが諸個人から独立的であっても、究極的には諸個人に由来している。そしてまた社会事象に関する責任も諸個人に帰せざるを得ない。いかに社会が諸個人の意志から超越した動きを見せようと、しかし、その状況を変え得るのは諸個人をおいてない。実際に個々人の動きが社会変革につながるかどうかはここでは問題ではない。たとえ個々人の行動が何の意味をもたらさなかったとしてもそれが社会を変革する唯一の可能性であるということをいっているのである。ここにおいて歴史における責任主体を諸個人におくことができる。歴史の流れといっても究極的にはその流れを形成しているのは諸個人である。したがって我々は歴史的事象に関してそれにかかわった人々を評価し、批判することができる。当時の人々は選ばなかったがもしかすると選び得たかもしれなかった選択肢を明らかにするという意味においてである。そしてこのことは現在という歴史の中にいる我々自身の責任を明らかにすることでもある。

しかし今まではたかだか責任主体の所在が諸個人にあることを述べたに過ぎない。当時の人々はなぜその道を選ばなかったのか。我々の行動は歴史において自由で有り得るか。次はこの問いかけに取り組む必要がある。

1991年1月 改

II社会と力

日常の生活の中でわれわれが目にし耳にする現実の出来事は、一要因としてのわたしの意志を踏みにじり、もっと悪いことにはすすんで唱和する精神状態(精神の安定性)へとわたしを追い込むような、強権力の策謀にみちみちている。この策謀の頂点に天皇が位置していることは、例えば議会制民主主義という擬制の枠組みさえも、天皇に対しては無に等しいという事実、主権者なりとされる国民の、その代表たちのそのまた代表たるべき国会議長が背中を見せることすら絶対に許されない天皇という事実が、如実に示している。

池田浩 『文化の顔した天皇制』

我々の行動を規制するものは何か。我々の行動の限界を決定するものは何か。あるいは次のように問題を言い換えても良い。歴史的な過程の中でほかになし得たかも知れぬ選択肢を閉ざしたものは何か。この選択肢を初めからなかったものとして歴史の必然性を主張するのは悲観主義的に過ぎる。といって現在の立場から見て、ほかにあり得たかもしれぬ選択肢の正しさを主張して過去を断罪するのは傲慢に過ぎる。我々が今、歴史を振り返ることに意義があるとすれば、一つには当時ほかにあり得たかもしれない選択肢を探りつつ、それを閉ざした何物かを追及し続けることにあるのではなかろうか。それが今、必然的に流れていくかに見える社会的状況を変革し得る可能性を探ることにもつながるのではなかろうか。少なくとも私にはこのような何物かを追及することが既に事実としてある社会的状況を批判し得る重要な根拠であるように思われる。こうした作業を経ずして己の理想を押し立てて、現状を非難するのは、現状を当たり前のものとして受け入れる当たり前の心情を軽蔑し、啓蒙しようとし、逆にその傲慢さのために啓蒙しようとした対象から見捨てられ、思想的、現実的に報復されることにもなろう。

この時物理的な、あるいは生物的な、自然界における規制はとりあえず問題とはしない。ここでは社会的な価値観を伴い得るものを対象とする。自然界と社会とは物質的には連続していても価値的には断絶している。人間は言語を獲得することによって事物を対象化して認識するようになる。言語の切り取り方によって人間にとっての世界の有り様は異なったものとなる。人間の世界への関わり方はこのように、世界を所与のものとして受け入れる他の動物のそれとは異なったものである。人間は世界を言語的に再編して社会を構成する。社会は人間にとってこのようなものとして存在する以上、社会的な規制はその責任は究極的にはその社会を構成する人間に帰せられるべきものであり、その意味において人間は「自由」なのである。確かに自然的な規制からは自由たり得ない。しかし必然的な事柄には良い、悪いはない。自然界におけるさまざまな要素はこうした価値判断とは直接的には無関係である。自然はそれが社会に影響を及ぼす程度に応じて、社会を通して初めて価値判断され得るにすぎない。

そこで、ここでの主要な関心は社会的な過程における我々の行動ということになる。我々がまず自分の行動を規制されていると感じるのはその行動が法律やら道徳やらに触れ、禁止される時である。このとき我々は己の行動を規制する社会的な何らかの力の存在を感じる。このような強制力はしばしば我々個人の意志に反するために我々に対して外在的なものとして立ち現れることになる。こうした強制力は我々の意識のうえでも容易に見いだせるものだけにかえって一定合理的なものが多く、しばしば我々の社会的な契約に基づくものとして正統化されることになる。しかし我々はこうした契約を意識的にした覚えはなく、もし契約がなされているとしてもその契約をなさせしめたものがあったわけで、結局こうした強制力の背後に何らかの目に見えない力を想定せざるを得なくなる。法律などはこうした力が外在化し、制度化したものであると言えよう。そしてこうした力は法律などの場面以上にふだんの生活のなかに働いているものなのである。

我々の行動についての選択肢は無限大に存在し得るにもかかわらず我々にはごく一部の選択肢しか見えない。さらにその見えている選択肢を同じ確率で選択する訳でもない。我々は社会的に見て一定程度「理に適っている」と思われる行動をそれぞれの判断に従ってほとんど無意識的に行っている。こうした「理に適った」常識は社会的に形成されたものである。つまり我々は自由に行動を選択しているつもりであってもそれは社会的な力によって規定されているものなのである。

こうした力は勿論社会構造を再生産する機能をもつであろうが、社会を変革する力にもなり得る。逆に言えば社会が変わる時にはこうした力が従来とは異なった方向に働くことが必要となるということである。一定の方向に社会を変革していこうというのであれば、こうした力を主体的に形成して行く必要がある。そこで次なる課題はこうした力をいかにして主体的に形成し得るかである。

(1992年5月 改)

III言葉と力

アジアの民衆にたいして、贖罪することなど、われわれにはできない。裕仁にかわって詫びることはもちろん、われわれ自身の行為の(過去及び現在及び未来の行為の)つぐないを、行為とは別に、なすことなどできるはずもない。しゃべることで、犯罪は帳消しになるものではない。

だが、われわれがしゃべることをやめれば、現実は変わるか?変わる。大いに変わる。『大 祭』についてしゃべり、『遷都』についてしゃべり、Xデーの数々のプランについてしゃべる人間たちの期待するような方向に、現実は変わるのだ。

池田浩 『文化の顔した天皇制』

言葉に現実的な力はあるのか。言葉は世界を変え得るか。唯物論の立場に立つものにとってこの問いかけは重要である。ないとすれば、社会変革は別の手段によってなされなければならないことになる。しかしそれならば例えばマルクスは今、社会変革にいかなる貢献をし得るというのか。死せるマルクスのなし得る貢献は彼の残した言葉においてしかあり得ない。また、あるとすれば、言葉をいかに現実に基礎づけ得るか、この解答はまだ完全にはでていない。言葉の問題は唯物論者の前にいまだに立ち塞がったままなのである。 もし言葉にそれだけの力があるとして、すべての言葉がそれだけの力をもつであろうか。そうではないだろう。この差異が言葉自身の違いによるものなのか、言葉を発する人間の違いによるものなのかはさておき、言葉のもつ力が均質なものではあり得ないことは日常生活のさまざまな場面において示されている。一方に教師の教育的な言葉の生徒に及ぼす影響、マスコミのもつ力、等など。他方に...。

このことに関して私は最近二つの教材を手に入れた。自衛隊の海外派兵を巡るさまざまな発言と皇室にまつわるさまざまな言説である。

自衛隊海外派兵を巡る問題に対して歴史小説家を自称するという井沢某とかいう歴史空想家が何か発言をしているらしいというようなことを小耳に挟んだ。曰く、日本人は「言霊」信仰が強いため、「平和、平和」といっていれば平和になると信じているようなところがあるが、それは空想に過ぎず、そんなことでは平和にならない。もっと現実的な貢献をしなければならないから、自衛隊を派兵すべきだ、という。なるほど言葉を扱うことを生業とする小説家を自認する空想家が、言葉は空想的なものに過ぎないというのだから説得力がある。確かに「現実的」に考え直してみれば自衛隊をカンボジアに派兵して悪いことは一つもない。海外で稼ぎまくった資本をただ溜め込むだけでは他国から非難されるから、それを溜め込んだ「経済大国」にふさわしい貢献をしなければならない。そうすればただ稼ぐばかりではない日本ということで国際秩序の擁護者としての対外的な威信を獲得でき、今まで稼いだ分はそれで正当化されるし、現在の日本にとって都合の良い今の国際関係の維持にも貢献でき、おまけに税金をかき集めて軍需産業につぎ込めば景気も刺激されて好転するかも知れず、うまく行けばカンボジア経済の中に入り込んでまた一儲けができるかもしれないのだ。それに引き換え派兵したことにより背負うリスクといったら、「平和」な日本においてさえ地球一個の重さどころかせいぜい後藤田の胸三寸の、まして戦争状態にあるカンボジアにおいては「両国の不幸な過去」の中に埋没する程度の命が失われるかもしれない程度のものなのである。それで日本は金を出すだけではなく、汗を流し、血まで流したという「勲章」までもらえるかもしれないのだから、本人以外のものにとってはリスクというほどのものでもなかろう。日本人は平和ぼけをしていると言っている人達の生活しているそれこそ平和な環境においては自らの命を差し出す心配はまずないであろうから、いかにもこれほどうまい話は確かにない。それに対して派兵反対を唱える人達の主張していることといったら、国内「外」から「一国平和主義」「自己中心的」「利己主義」などと非難されるかも知れず、それに対して日本に対しても世界に対しても何の利益ももたらしえないのかもしれないのだから、考えようによってはこれほど腑抜けな話もあるまい。空想家氏に限らず現実主義的な利己主義者たちが両手を上げて海外派兵に賛成し、それに反対する人達を罵ってきたのももっともである。人の権益に重みの差はないのだから、より多くの人の利益に沿うように世の中が動いて行くのは当然である。それに逆らったところでたたきつぶされるのが落ちなのである。いかにも現実に派兵反対論は空想に終わってしまったわけだ。

小和田雅子と裕宮との婚約が決まったとき、「国民の皆がおめでとうといっております」と雅子に言った記者がいたという。この記者によれば「国民」だったら皆めでたく思うはずであるし、めでたく思わない人間は「国民」ではないらしい。いかにも「日本国民統合の象徴」の子供の婚約だけのことはある。人の結婚は一般的にめでたく思うのが良識という事になっているから、まして赤子の国民としては天皇一家は親戚同然、この言葉に異議を唱えるものは政治的に偏った奴としてだけではなく、人間として心の狭い奴だと非難されかねない。こうした言葉が公共の媒体によって伝達されるとき、もはや一記者のたわごとでは済まされないのである。この言葉に異議を唱えられる場がほとんど存在しない現状では(何しろ公的な場で一寸天皇制を批判しただけで右翼が押しかけて来て、さらにその後ろから警察が押し寄せて来たりしかねないのだから)、「オレはおめでとうなどと言っていない」といった当然あってしかるべき声がかき消され、この一記者の無神経な発言がまさに「国民」全体の声になってしまうのだ。

天皇に関する言説は重い。「(昭和)天皇には戦争責任はあると思う」という言っても言わなくてもたいして意味のないようなことを言っただけで生命の危機にさらされることもあるし、また「両国の間の不幸な過去」について「痛惜の念に耐えない」といっただけで多くの人々の生命を奪った戦争の責任を果たすこともできたりすることもあるわけだ。 一人の人間の言葉が何千万もの人々の生命と対峙し得る一方で、少なく見積もって何十万人もの人々の声が自称小説家の嘲笑にさらされることもあるのだ。この言葉の重さのあまりの差を多くの人たちが乗り越えようと苦闘して来た。しかしその結果生み出されて来た言葉の多くは「アキヒト処刑」といった一部の人には誠に耳障りがよいが、多くの人々にとって自称小説家の嘲笑の種にすらならないものとして無視されてしまう程度のものに過ぎないのだ。あるいは言葉は体制側から発せられるときにこそ力をもつのだとも言えよう。しかしそこに止まっていてはなにも変えられない。もう一度問おう。言葉は現実的な力をもつのか。言葉は世界を変え得るか。変え得るとすればいかなる言葉がそれだけの力を持ちうるのか。

言葉がもし現実的な力をもち得るとすれば、それは「精神の構造に働きかけ、精神の構造をとおして社会の構造に働きかける」ことにおいてよりない。P.ブルデューはこうした力を象徴権力と呼んだ。本稿においては言葉のもつ力を象徴権力としてとらえ、これを現実的な諸力の中に位置付けながら、世界を解釈し、その価値構造を押し付けるだけでなく、世界を変革し得る象徴権力の可能性を探ることにする。そのためにはまずこの象徴権力を二つの場面に分けて考える必要がある。一つは象徴権力が既成の価値秩序を押し付けその再生産に寄与する場面であり、もう一つは象徴権力が新たな価値を生産し、古い価値秩序を解体する場面である。ここでは秩序を維持する象徴権力を追いかけることによって象徴権力の現実的な諸力の中に占める位置を示し、最後に新たな価値秩序を生産し既存の社会を変革する象徴権力の可能性を示すことにする。

(卒論に続く)

自衛隊がカンボジアに派兵された日、私たちはカンボジアの戦争に巻き込まれるかもしれないという可能性としての危険に見舞われただけであったのだろうか。派兵に反対した人たちはただ自分が巻き込まれるのはごめんだというそういう心情で反対したのであったろうか。そうではなかったはずだ、と思う。この日、というよりはるか前警察予備隊なるものが創設されたときにあるいは既に、軍事力をもたずして人々の生活は守り得る、というよりもたない方が守られる事も有り得るということを証明する機会が失われてしまったのだ。この命題は確かに可能性の域を出ない。すべての国が軍事力を廃絶すれば直ちにうまく行くというわけではない。例えば好戦国イスラエルの脅威にさらされるアラブ諸国にこうした要求を出すのは酷である。あるいは強大な米帝の軍事力を放恣して「北朝鮮」にそれを要求するのも馬鹿げている。しかしそれが絶対ではないこと、たとえば日本においては現実のものであり得たのだということは実験してみるに値するものであったと思う。日本の現実は他国の可能性として示され得る。こうした多くの反戦活動家を勇気付けうる理念がこの日完全に空洞化されてしまったのだ。

理念?理想?何を子供じみたことを。−湾岸戦争のときから盛んにしゃしゃり出て来た「現実主義者」たちは言うだろう。日本がそんなことを言っている間にも現実に存在する国際秩序がポル・ポトやフセインによって犯されようとしているのだ。「絶対的平和主義」などといった理念では国際秩序は守られないではないか。

国際秩序、これとて現実に機能している類いのやはり一つの理念あるいはイデオロギーに過ぎない。そして現実に機能しているだけあって、現実の力関係をまともに反映した、そして現実に害を垂れ流しにしかねない理念なのである。香港を不当にも今までもち続けていた帝国主義国家イギリスが同様にイラクを分断してでっちあげた国家がクウェートであるという見方はあながち出鱈目でもない。こうした帝国主義的諸国家の都合のよいように国際秩序が形成されているとすれば、それを保持することこそが正義であるというのは随分一方的な見方であるということになる。

革新派たちは現実にはいまだ機能していない理念、これを現実に根づけしめ、公的な価値足らしめんと、そうした道を探ろうとして来た。これは実現される保証がない限り可能性に止まらざるを得ない。しかしこの可能性も多くの人々に受け入れられたとき、現実的な力に転化し得る。これもまた可能性の話である。可能性の可能性、道は遠い。あるいはそんな不確かなものに価値等ないと、人はいうかもしれない。しかしそういう人たちのいっていることもまた、それが他者に伝わり何らかの効果をもたらすかもしれないという可能性のうえにしか価値をもたないのである。

逆に自分たちの主張が他の人々に受け入れられない限り、それが仲間内の言葉に止まる限り、それは独り言と同様、外部的には価値をもたない。

「日本人」は象徴の天皇の下に統合された仲間なのだという。だから、天皇に関する言説は「他の人」には受け入れられようもないほど粗雑なものでも(そしてそうでないものなど存在しないのだが)仲間としての「日本人」には伝わるのだ。国際化は必要だけれども年を表示するときには、日本でしか通用しない元号を使いましょう。前の戦争は反省するけれども厳粛な儀式には日の丸を掲げましょう。主権在民の国の歌として君が代を歌いましょう。人間は平等だけれども、天皇には「陛下」をつけて敬いましょう。「陛下」の「お言葉」はみな素晴らしい。戦争責任という「文学方面の言葉」を理解できなくても、亡き「陛下」は戦争に心を痛めておられました。非差別部落はお目を汚すから目につかぬようにその地域が見えるところでは新幹線のカーテンを閉めても亡き「陛下」は国民すべてのことを考えておられました。そんな亡き「陛下」を尊敬していても現「陛下」は現代的な感覚をおもちです。超A級戦犯を「お慕いし」ていても現「陛下」は平和を愛しておられます。

しかしそんな出鱈目が外で通用するはずもない。そんなことも百も承知だから外の人間には伝える気もなく、ただ外に止まることを強要し、決して対等には扱おうとしないのである。「外登法」で外国人をがっちり差別的に取り締まりながら、日本は人権感覚に進んだ国(中華人民共和国に注文をつけることができるほど)であり、朝鮮韓国人被爆者の碑を建てさせずに軍国主義者中曽根の句碑を建てる広島平和公園が平和の象徴なのである。 圧倒的多数が仲間である日本においてそれを他者とする類いの言説を打ち立てるのは容易ではない。いかに正しいことをいってもそれが伝わるとは限らないどころか伝わらないことのほうが遥かに多いのである。しかし諦めてはなるまい。いかにむだに思えても言葉を発さない限り逆に伝わる可能性は全くなくなってしまうのだ。

ただ相手の仲間内の言葉に対抗するに自分も仲間内の言葉を、自分たちの正義をいたずらに主張するのは不毛である。大切なのは相手に受け入れることを要求することではなくて、相手にも受け入れられるだけの言葉を作り出すことである。

例えば天皇が通る度に沿道で日の丸の小旗を降っている人に向かって「人民の敵アキヒトを撃て」などといっても、その声が届くはずがない。ましてや、「天皇制の問題点を理解するための努力をしろ」という要求を持ち出すとすれば、それは天皇制廃絶を主張するものの怠慢でしかない。

天皇制廃絶闘争にせよなんにせよ、闘争を始め、担うものはそれを多くの人に広める責任まで負うことになる。従って、「当たり前」なために力なく責任のない「アキヒト処刑」や「天皇制廃絶」ではない言葉、内容に責任を負い、さらにそれを「他者」に伝え、理解させ、「他者」を他者でなくする所まで責任を負った言葉、実践を探していかなくてはならない。そのためには今ある言葉、実践を最終的なものになし得ず、新たな言葉の創造、次なる実践の一契機とせざるを得ない。

(1990年11月某ゼミでの報告内容を下にほとんど全体を新しく書き直した)

IV最後に、迷い

世界でいちばん自由な言論が保証されているという日本では、天皇に関する言論であるかぎり、世界でいちばん不自由な言論しか、許されていないのである。そして、たとえひとつでも不自由な領域が存在するかぎり、言論は(そして人間は)自由でなどないのである。

池田浩 『文化の顔した天皇制』)

明仁の訪沖を非難する目的で京都の寺社が過激派の攻撃を受け、文化財が被害を受けたという。何というばかなことを。多くの人がそう思っただろう。天皇制を肯定する人は勿論、天皇制に批判的な人にとっても残念な思いがしたであろう。文化財も惜しいがそれ以上にその損失によって多くの人たちが天皇制に反対する主張をなすものに対して反感をもったであろう事が残念なのだ。

やり方が間違っていたのだ。他にもっといくらでも自分たちの主張を表明する方法があったろうに、よりによって人の反感を買うような事をわざわざするなんて。そういう主張は言葉で、言論で行えばよいのだ。

私もこの出来事を残念に思う。しかし他のもっと良いやりかたでするべきだったとは必ずしも思わない。私が残念に思うのは彼らがあやまてる方向に向かっているからではない。彼ら(私たち)が自分たちの主張を行うのに残された選択肢があまりに少なく、また適切なものがないということを残念に思うのである。

彼らの行動は彼ら(私たち)の思惑とは恐らく逆に作用するであろう。彼らの行動によって、天皇制を批判するものは今まで以上に(これまでもテロがある度にそうであったごとく)厳しい視線にさらされかねない。彼らの行為は彼ら(私たち)の目的に反している。彼ら(私たち)のなすべきことは敵を増やすことではなくて、自分たちの主張を受け入れる人を増やすことであるはずだ。今まで彼ら(私たち)は敵を作り続けて来た。彼ら(私たち)の敬愛する「人民」たちの平穏無事な生活をテロその他で打ち壊すことによって。「人民」たちの行動、発言を彼ら(私たち)が一方的に非難することによって。左翼的言説をこれほどにまで衰退させた責任は「共産」圏の崩壊以上に彼ら(私たち)のなしてきた実践の貧困さにある。しかしならば、いかなる手段が他にあるのか。

言論。なるほど、有力な手段であるはずだ。しかしいかなる言論を彼ら(私たち)になし得るのか。天皇制礼賛の大イベントは膨大な国費を費やして行われる。そしてそのたびに商業マスコミが「陛下」つきで報道する。結婚するともなれば結婚相手のことを「お美しい」などという女性蔑視丸出しの表現で差別的結婚を礼賛する。死んだら死んだで故人は敬われなければならないという「良識」にしたがってか、最大の戦争犯罪人にして、人と対等に向き合うという人間として当たり前のこともできなかった「人間天皇」を礼賛する。こうした国家権力、商業マスコミ、そしてそれを支持する圧倒的な人々の言説の中で、その合間を縫って彼ら(私たち)にどれほどの言論の「場」があるというのか。手書きのびらを手渡し、数少ない左翼系の出版社から売れもしない本や雑誌をだし、商業新聞のごく一部に「反対する人たちもいた」程度に紹介されるにすぎず、どう考えても天皇制礼賛の言説に対抗するだけの言説は作り出しようもないのだ。

彼ら(私たち)には三つの道しかない。ごくわずかな人にしか物理的に伝え得ない言葉をむだとは知りながら細々と作り出していくか、あるいは彼ら(私たち)の思惑とはあるいは逆に作用するかもしれないが多くの人に確実に伝わる手段をとるか。あるいは訴えること自体をやめてしまうか。いずれも最善ではあり得ない。逆にいずれの道を選ぼうとも私(たち)には非難はできない。最善のない選択を彼ら、そして私たちは迫られる。私(たち)はいずれの道にも行きかねている。そしてその気になれば明仁暗殺とてさして困難ではないはずの彼らもまた、踏み迷っているはずなのである。

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