プロローグ−スターリニズム的な社会運動から逃れるための

-1. はじめにのまえに

大学一回生のとき、私は二つの方向から社会を考えていた。一つの線は、「唯物論」について。父親が宗教嫌い、科学万能主義だったことが影響しているのだろうか、私も一貫して、素朴唯物論者だった。宗教なんて詐欺以外の何物でもなかったし、その延長で、観念論というのもまた信じがたい愚劣な思想としか思わなかった。ならばそうした愚劣な観念論など粉砕してやろう、それぐらいの動機付けで「唯物論」を学ぼうと思った。もちろん、「なぜか」唯物論というのは左翼チックな思想であるというのも、反体制的な気分を身につけてきた私には合っていたのであるが。

もう一つの線は、天皇制、あるいは差別問題。当時の(いつだ?)思想的状況では、日本の差別問題というのは天皇制の*中*にあるか、少なくとも分かちがたく結びついているというのが、ある場では常識的な考え方だった1。そして私が高校卒業間際に前の天皇が死ぬ(天皇陛下が崩御する/戦犯ヒロヒトが(絞首刑でなく)畳の上で往生する)2とか何とかで、天皇という存在が嫌でも目に(鼻にも)付く時期であった。

前者に関して、私がぶち当たったのは、構造主義と広松渉の物象化論だった。これらはいずれも、素朴唯物論の立場からすれば、観念論に極めて近い思想に思われた。そしてなおかつそれらはいずれも「愚劣な思想」ではなかった。ここで論点となっているのは、人間の認識枠組みは素朴唯物論者には説明不能な構造を持っている、ということだ。ここではじめて私は、対象と認識の二元論の問題を知ったのだ。素朴唯物論、あるいは俗流マルクス主義のいわゆる「反映論」は不充分なものに思われた。だからといって、構造主義や広松のように認識可能な3「構造」で、世界を完結させるのは、「物質」を取り逃がしてしまうように思われた。ここで残された道筋は二つ。浅田彰が『構造と力』で解説したように、「物質」と構造を取り込んだ何物かを提示すること。デリダの「脱構築」、ドゥルーズの「リゾーム」はその一つの方向を示したものなのであろう。そしてもう一つは二元論を解消せずに、そのままあえて残してしまうこと。とりあえず、デリダもドゥルーズもまったくわからなかった私は消極的に後者を選択した。構造から零れ落ちた部分に構造変革の主体性を見出すという議論。

差別問題で私がかかわったのが部落差別問題。この領域には多分に政治的な絡みがあって、純粋に理論的には解き得ない部分が絶えずある。とりあえず日本の左翼思想状況を簡単に整理してしまうと共産党系と非共産党系に分かれる。政党レベルでは後者は社会党左派。歴史学においては、前者が講座派、後者は労農派。一般的には前者が主流なのだが、実際の運動のレベルでは後者がむしろ主流。学生運動では共産党系の民青なんて、右翼扱いだ。部落問題でも同じ。部落解放同盟は非共産党系に属する。そして部落解放理論もこうした対立を軸にして展開される。

政策レベルでは、共産党は部落行政の終結を主張する。差別は基本的にはなくなった、あるいは遠からず自然消滅する、というのだ。昨日の京都市長選でも実はそれも争点になっている。公共事業などと同列に、既得権化した無駄な支出だ、というわけだ。この主張(そしてそれを支える現状認識)の是非は私はわからない。もちろんこうした共産党の主張の背後には、解放同盟にこの問題のイニシアティブを取られてしまっている、ということがあることは否定できないように思う。ただそれはそれとして、共産党にはこうした主張を支える理論的根拠もあるにはある。それは歴史学における明治維新観における講座派、労農派の対立に関わってくる。簡単に言ってしまえば、講座派は明治維新を絶対王政の確立と捉え、封建的な社会制度は以後も存続したと見るのに対して、労農派は明治維新をブルジョワ革命の一種(不徹底であるとはいえ)と捉え、以後を資本制社会と捉える。明治維新以降、なぜ部落差別が残されたか、に関して、その本質を前者は封建的社会制度に求め、後者は資本制社会構造に求めるということになる。共産党にしてみれば、部落問題などというのは、来るべき共産主義革命のそのはるか前、資本制社会の進行によって終了してしかるべき古い問題だということになる。一方、後者にとっては差別問題は資本制社会の中に問題が潜んでいるため、差別の真の解消は資本制社会への闘争に含まれる、と考える。たとえば明治政府の発した解放令も後者からすれば、差別構造をより陰湿な形で温存するための欺瞞だ、ということになる。左翼思想が、資本制社会の打倒をその第一目標に掲げていた限りにおいて、両者における部落問題の位置付けの重要さの違いは明らかだろう。

ここで問題は、資本制社会の中に差別問題がある、とはどういうことか、に移る。資本制社会は、人格的な平等の下で成立するというのが、かのマルクス先生の主張のはずだ。その意味ではマルクス先生を信奉する限り、共産党の主張のほうが筋がとおっているように見える。しかし、非共産党系の左翼は、すでにこうした資本主義観を上部構造を軽視するものだと批判する議論があるのを知っていた。実際60年安保闘争を担ったのは、下部構造一辺倒のロシアマルクス主義を批判する新しいマルクス主義、たとえばサルトルを代表とする実存主義的マルクス主義や、それとは別系統だが吉本隆明や広松渉を支持する人たちがいわゆるノンセクト系を中心に多く含まれていた。こうした議論を差別問題に応用すれば、差別意識などの上部構造は資本制社会において重要な意味を持っており、こうした意識に対する闘争も周辺的な闘争以上の意味を持つことになる。差別語に関する糾弾闘争にたいするスタンスの違いなどもこうした理論対立と対応したものとなる。

私は、たとえば解放令を差別温存のために発したのだ、という陰謀理論にはなじめなかった。むしろ、人権などという意識はかけらもなかったにせよ、欧米化・近代化政策を急ぐ明治政府の方針の一環(そしてもとより「近代化」と差別解放とはそれなりの親和性を持っていることになるのだ)と捉える共産党系の学者の主張のほうが冷静で正しいと思った。また、糾弾闘争と呼ばれるものが、「言葉狩り」として反発されるならば、それは運動側の失敗というだけのことではないのか、そこを突っ張ってみたところで、不毛な感情の行き違いを生じさせるだけで、「解放」には何ら資する方向には行かないのではないか、という違和感を持っていた。

こうした運動系の非共産党的左翼理論は、「上部構造」という概念を正確に捉えられていないように思われた。上部構造での闘争はすなわち階級闘争である。彼らのしていることは上部構造と下部構造を同一平面上に置くことだ。私が志向したのは、上部構造と下部構造の二重性の中で差別問題を捉えるということ、それがどういう議論になるかはともかく、ここでも二元論を選択した。

ここまでが一回生の営み。ここから文化的な領域の相対的自律性を主張するブルデューに引かれていくのはごく自然な流れだろう。後はブルデューの自分なりの位置付けや、そこからアルチュセールに走り、など大枠にはさして影響のない部分の考察に費やされる。こうしてみれば一回生時点からあまり進展していないなと思う。要は社会理論における二元論をどう展開させるか、という問題であり、それが純粋理論から、差別問題論、近代社会論(経済と政治の領域の分化、二重性の確立に近代社会のモメントを見る)と結びついた形でかかわろうとしていた、ということだ。

0. 概略

ここでの課題は、社会理論における二元論とその統合の試みに関する思想史的な整理と、二元論を保持することの積極的意義を実際の社会問題への考察の中で示すことだ。

カント・ヘーゲル・現象学・実存主義(ハイデガー)

差別(する)意識をどう問題にするか

糾弾闘争・差別語狩りの問題

個人の差別発言←この距離→社会意識

1. 二元論に関する哲学的素描

1. 1二元論の基本形

カントの提示した世界観は「物自体」と認識・表象体系とを分かつ二元論である。

1.2 二元論の克服

1.2.1弁証法

ヘーゲルは「絶対精神」の自己展開の*中に*二元的な対立を含みこむ(止揚)ことによって、二元論を脱却。

1.2.2現象学(新カント派)

カントから「物自体」を消去。→すべての根拠は「共同主観」

超越論的な主体を設定

1.2.3実存主義

「主体」の存在の根拠を問う。

「世界内存在」―「意味」の連なりの中(歴史)で「私」は生きる。(ハイデガー)

1.2.4唯物論(ロシアマルクス主義)

「物自体」を物質的基盤を持つものとし、それを認識は反映している。ただし認識はイデオロギーによるゆがみを持っている。それを取り除くことによって、正確な認識に至ることができる。

1.3小括

二元論を克服するためには、究極的に寄って立つ基盤・根拠を必要とする。それが「歴史」(→民族・精神)なり、物質(→生産関係)なりに求められるとき、明快だが、単純で危うい思想ができあがりかねない。根拠を過去の伝統なり、共産党の前衛性なりに求める危うさ。ハイデガーがナチズムに走り、ロシアマルクス主義がスターリニズムに堕したのは、それなりの必然性を感じる。それは個人の認識なり、意識なり、つまりは存在がストレートに社会と向き合ってしまう単純さに行き着いてしまう危険性、そういう感覚だ。

2. 差別問題に見るI

「社会」と「個人」というレベルを異にするものが出会う場、それに関わる議論、それを差別問題を通してみていくことにしよう。

さて、差別問題においてメジャーな議論として「糾弾闘争」・「差別語狩り」と呼ばれる運動に関する議論がある。なんらかの差別を助長すると思われる発言がなされたとき、それにどう対処するべきか、に関する議論である。

「糾弾闘争」賛成側の主張はこうである。差別的発言は現実的に差別を作り出す。こうした発言が、時として被差別者を死にまで追いやることがあるのだ。だから、そうした発言はきっちり咎めて、その発言者の意識から変えて行かなくてはならないのだ。

それに対して反対側はこう主張する。差別発言が差別を作り出すというよりは、まず現実にある様々な差別的な状況を反映して差別的な発言がなされるのだ。従って、問題にすべきは具体的、物質的な状況である。実態がなくなれば、差別意識は自然に薄れていくだろう。意識から変えるというのは、人の内面に踏み込むことで、それは危険かつむりなことだ。

後者の議論のそのさらに後半部分は、よく聞く議論、差別と表現の自由、の議論の中にもしばしば現れる。記憶に新しいところでは、筒井康隆の「断筆宣言」事件があげられるだろう。

さて、いずれの立場を「私」は選択するだろうか。後者の議論が多分に差別的発言をなしたものの居直りに使われる事例をいやというほど見てきた。「実態」に対する関わりを真摯に行っていないものが後者の立場を主張するのはあまりにも安直であり、欺瞞である。だとすれば、前者の立場をとることになるだろうか。しかし、後者の立場を居直りに利用させ、あるいは無意味どころか有害とさえ思える「放送禁止コード」などを作らせ、差別問題をいたずらにタブー化し、差別問題を硬直化させてしまったのは前者の立場にその責はあるのではないか。こうした運動はともすれば、共感する仲間たちだけを囲い込み、彼らが訴えるべき、そして最終的には味方にすべき一般の生活者を遠ざけ、場合によっては敵に回す結果につながったのではないか。考えても見よ。さしてなにも考えていない一個人が、十分な理論武装をした組織なり団体に、それを背にした自信満々の個人に、おまえの発言は社会的に有害だ、と言われるのだ。それを真正面から受け止められる人間が、いったいどれほどいるというのだろう。

問題は、個人と社会との距離感にある。個人の発言が、社会的に問題を含むことがあるのは当然である。まして糾弾闘争の主たる対象がマスコミ関係者であったり、教師であったりするのだから、その発言はそもそも私的なものではあり得ない。しかし、にもかかわらず、それで糾弾されたものの中にある種の割り切れなさが残るとすれば、それを単に「差別者の居直り」で片づけてしまうのは安易と言うべきだろう。運動は人を引き込まねば、その意義を損なってしまうもののはずなのだ。ならば、そうした割り切れなさに最大限の配慮をしていかざるをえないだろう。つまり、社会運動は個人の領域を何らかの形で保存せざるを得ないのだ。

3. 差別問題に見るII

個人と社会のこの距離を逆の方向から考えることも必要だろう。

カムアウト。私的なコストパフォーマンスを考えれば、多くの人がカムアウトをしない方がよい、という結論に達するだろう。カムアウトとは、まさに個人が素で社会と向かい合うことになるからだ。しかし、誰もカムアウトしない状況は、偏見が偏見のまま残され、差別者の発言だけがある種のリアリティを持ってまかり通る状況を招くだろう。「部落差別」なんておかしい(何でそんな差別があるのか、理解できない)とある若者が主張する。それに対して、訳知り顔にこうささやくのだ。「君は部落の人を知らないから、そんな悠長なことが言えるのだ。彼らは本当に怖いよ」。ばかばかしいと思うだろうか。しかし「部落の人」をほかの別な語にいろいろ置き換えてみればよい。「精神障害者」、「外国人労働者」、「ホモ」。世の中には差別的なカテゴリーに満ち満ちていて、中には一定のリアリティを持ってしまっているものが再生産され続けてはいないだろうか。そして「私」はその偏見からすべて自由だと言えるか。先のささやきに与して、「私」は「被差別者」との関わり、接触を逡巡したりはしないだろうか。

カムアウトは確かに微妙な問題を含んでいる。まるで自らを「そのカテゴリーの人間」だと宣言するような意味合いを持っているからだ。カムアウトする個人の側からすれば、カムアウトという行為は自らのアイデンティティを固定化してしまう。彼/彼女は今まで以上に「被差別的な存在」としていきることを強いられるかもしれない。しかし、にもかかわらず、その社会的な意義は、むしろその逆のところにあるだろう。社会においては、あたかも「あるカテゴリーの人」が、そのものとして実在しているかのように語られている。「部落の人」「ホモ」なる人間が存在しているかのような。しかしそんな人間はどこにもいない。今目の前にいる当たり前の人間が、「部落の人」であったり、「ホモ」であったりする、そういうリアリティを代わりに突きつけること、カムアウトの意義はそういうところにあるのではないか。

個人的な選択の合理性を越えたところで、初めてその意義が見いだせる。社会運動の持つこうした特性と、先に見た個人的な領域を尊重する必要性。この兼ね合いをいかにつけるか。社会運動にはこうした難題がはじめから含み込まれているのだ。

4. はじめに

社会認識、社会理論において、客観的実在と主観的意識との二元論とそこからの脱却がしばしば論点になってきた。そして多くの議論においては、二元論ははじめから解消されるべき、中途半端な議論だと設定されているかのようだ。しかし、二元論的な社会観が示しているものは、単なる折衷論ではない。二元論でしか表現され得ぬ議論というのが確かに存在するのだ。その重要な一つとして、社会運動、社会問題に関する議論があげられるだろう。

社会運動論においては、それが解決を志向するものである故に特に、わかりやすい明確な社会理論が採用されるだろう。その意味では二元論というのはきわめてわかりにくい議論といわざるを得ない。しかし、二元論から逃れ、社会(対象、物自体)と個人の意識(認識、主観)とを同一平面上におくことを指向する議論は、社会運動の次元では、運動の中に潜む微妙な襞を見失ってしまいかねないのではないか。古くは反映論に代表されるマルクス主義的な社会運動論にはじまり、今では例えばエスノメソドロジーの議論をふまえた差別問題論に至るまで、個人の選択、行為と社会の目指すべき方向性との間の距離感を少なからず安易に処理してしまってきたように思われる。それは、社会運動を実際に行っていく上で、重要な落とし穴にはまってしまうということになるだろう。

個人と社会の間に横たわるこうした距離感を捉え、表現していくこと、そしてそれをふまえた運動論を展開していくこと、ここに二元論的社会観の存在意義はあるはずなのだ。

(未完)

参考文献

1982, 浅田彰「プログラム−ヘーゲル/バタイユの呪縛から逃れ出るための」『構造と力』所収.

  1. この常識はさして間違っているとは今でも私は思わない。もちろん単純に天皇という存在と被差別者の存在を因果関係で結んでしまうのは間違いであろう。しかし、天皇の信奉層と在日、部落差別容認・支持層とは絶対に有意な相関を持っているはずだ。
  2. 高校のクラスの卒業文集か何かにわたしは何の脈絡があったのか、どうにも思い出せないのだが、「さよなら、ヒロヒトラー」という一文を入れ、一騒動を起こした。当時のサヨクガキってのはわけわからんね(苦笑)。
  3. ただしこの両者の「認識」の持つ意味合いは異なっている。広松(=現象学)においては行為者の認識が重要であるに対して、構造主義においてはそれは無視される。
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