本報告は、教育という場における言説の持つ実践的性格を、具体的にいじめ問題を題材にして、明らかにすることを目指すものである。
いじめ問題の出発点はいじめの告発である。そしてこの告発が告発としての意味を持つためには、二つのことが語られなければならない。すなわち、いじめの被害者が存在していて苦痛を訴えていること、そしてその苦痛を産出する行為が存在していることである。さしあたりわれわれのなすべきことは、被害者の告発・語りに密着し、その苦痛の度合いに見合ういかなるいじめ行為がなされたのかを確認することであろう。
しかし事態はそう簡単ではない。われわれがいじめにかかわる言説を見ていくときに直面するのは、この両者(いかに苦痛であったか、どんな行為がなされたのか)の間にある距離である。最初にわれわれが読むのは、その苦痛の甚大さである。いじめの告発が社会的に取り上げられたのは「自殺」を通してであり、すなわちいじめの苦痛とは死に値するものとしてわれわれは知る。しかし、ならばどのようないじめを受けたのか、そしてそれがなぜ苦痛であったのかとなるとそれがなかなか明確な形をとって現れてこない。苦痛がそこにあることはわかっているのに、その苦痛の源泉について言い当てられない、ここにいじめの定義にかかわる議論の困難がある。
被害者はなぜ、自らの苦痛をうまく表現し得ないのか。極端な場合、死という帰結を伴ってはじめてあらわにされる苦痛は、もっと早くに、適切に表現されえなかったのか。
結論を先に言えば、ここで述べたいじめ告発の困難性は、いじめ実践(いじめるという行為)の持つ構造と不可分の関係にある。そしてこの両者をつなぐものがいじめ実践のもつ言説的性格である。いじめについて語る言説といじめるという行為が、同じ言説空間の中に置かれる。本報告では、こうしたいじめ言説の持つ二重性の中に、「いじめ」問題の持つ構造を明らかにすることを目指す。
イデオロギーの<呼びかけ>と「空白」
「イデオロギーは呼びかけというきわめて明瞭なあの操作によって、諸個人の間から主体を<徴募>し、また諸個人を主体に<変える>ようなやり方で<作動>し、<機能>しているのだ」(Althusser,1970)
イデオロギーの呼びかけに伴う諸個人の主体化、ここにアルチュセールはイデオロギーの実践的な意味を見出す。つまり言説は、それに答える具体的個人の担う「主体」がいて、具体的な実践の場に存在する支えを持つのである。そしてこの言説の中にあらかじめ準備されている「主体」の場は、担い手が現れるまでは「空白」として残される。
この「空白」へ誘い込まれて具体的な個人が振り向いたとき、彼は<主体>となるのである。逆にいえば、そうした<主体>が位置付けられて、初めてこの語りは完成する。
この語りが準備する「主体」はどこにいるか。
被害者の存在証明から始まるいじめ告発言説は、B(いじめられているのは誰か)を問題の存在確認の支えとして残しつつ、その問いかけの中心はAの形態を取ることになるものと考えられる。「いじめ」を問題として発見・告発するということは、問題として問われ、語られるべきは告発される側=加害者の行為であるということになるはずだからである。それでは実際のいじめ言説がどのような語りをなしたのか、を見ていくことにしよう。
「いじめ」言説研究が着目するのは、そもそも、「いじめ」はいかに(官庁、新聞レベルで)発見、問題化されたか、その契機は何か、である。「いじめ」は二度問題化されている。一度目は85年、そして二度目は93?4年である。そしてその契機として既に指摘されてきたものとして「死」があげられる。
「いじめ」は自殺に伴われて問題化された。その中でもとりわけセンセーショナルに取り上げられた事件が1986年2月に起こった鹿川君の自殺である。この年、いじめ自殺関連記事は最高の229件に上ることになる。しかし、一旦それは収束を見せる。既に86年9月にはいじめ事件は減少の兆しにあると報じられる。そしてその後、「いじめ」と「自殺」がひとつの記事見出しに並ぶことはほとんどなくなる。
一旦収束したかに見えた「いじめ」が再び問題化されたのは90年代半ばからである。その契機となり得る「有名な」(つまり大々的に報道された)事件が2件ある。ひとつは1993年1月山形マット死事件、そして1994年12月大河内君自殺事件である。
ただこの両者の「いじめ」関連の盛り上がりにはかなりの差がある。93年の1月に起こった山形の事件を含む1993年のいじめ関連記事は59件であるのに対して、94年12月に起こった大河内君の事件を含む1994年のいじめ関連記事は164件(この中に山形マット死事件関連の記事は一件もない)、しかも12月以降の記事は119件にのぼるのである。1995年は大河内君事件に直接関連しない記事だけでも160件を超える。同じ「いじめ?死」の結びつきにおけるこの「差」は着目に値しよう。
「死」が何にも増してセンセーショナルに取り上げられうるのは一般的に言いうることであるとしても、「いじめ」においては、「他殺」ではなく、「自殺」とのかかわりで記事数は激増する、ということだ。
<死>がもっともセンセーショナルにその問題性を理解させる道具=手段となるのは、「いじめ」に限らず、社会問題一般において言い得るだろう。ただ、その場合には、そこにまで至らしめた<原因>がすでに自明のものとして存在していて、その存在を告発する、という意味合いでなされるであろう。たとえば差別問題の告発において、<死>が持ち出されるとき(自殺であれ、他殺であれ)、問われるのは「差別者」、社会状況、政治、などなどであり、本人、その親族が自殺の原因として問われることは少ないだろう。ところが「いじめ」においては、「いじめによる悲劇をなくそう」という「いじめ告発」の言説においてなお、被害者やその親族が問いにさらされることが多いのである(なぜ死んだのか?もっと強くなれ、なぜそこに至るまで気づかなかったのか、など)。それは被害者がいかに苦しみ、何故死にまでいたらざるをえなかったのか、つまり苦痛の原因をうまく言い当てられていない、そのことに対する聞き手の納得のいかなさに由来しよう。
「いじめ」言説においては、被害者への問いかけが、「自殺」という被害者の存在が明確に示された後も、なされつづける。「いじめ」言説は、差別告発の言説と同様の形をとって始まりながら、被害者への呼びかけ「君はいじめられている」が反復されつづけることになる。「いじめ」問題においては、「自殺」はもはや悲劇性を証明する道具=手段としての<死>(個人にとって一般的にもっとも悲劇的な結末)とは異なる意味を持ってしまうことになる。加害者ではなく、被害者のほうを問う言説、それは、問題自体について(そこでは何がなされ、今後どう解決されるべきか、など)語る言説とは異なった構造を有している。もし問題*について*語るのであれば、その「原因」たる加害側にこそ、視線が向かなくてはならない。
ここに立ち上がっている言説は、いったいいかなる言説であるのか。何故いじめにおいては、自殺にいたるまで、あるいは自殺にいたってなお、先の被害者への「呼びかけ?応答」が完結しないのか。いいかえれば、被害者は何故呼びかけに応じることによるいじめに対する有効な告発をなしえないのか。
A章ですでに見たように、いじめ言説においては、加害者の<主体>はさほど問題にはならない。そしてそれだけにいじめ言説において、加害者の存在が拡散していく(ある暴力的な生徒→周りではやし立てる生徒→黙認する生徒→気づかなかった大人=要するに「みんな」)のも、必然的であった。それは、観察者の立場から見るいじめ加害者の構造の分析(森田の四層構造論)、さらには「いじめ」問題を追及していくマスメディアや行政の責任追及の場においても(伊藤)、当てはまる。言い換えれば、主体としての<いじめ加害者>の場所は「空白」のまま残されるのである。
ではBにおいて(被害者の)<主体>化はいかに達成されるのだろうか。そしてBの呼びかけはいかなる場においてなされているのであろうか。
「いじめ」と呼ばれる行為は、一つ一つを具体的にあげつらえば、限がない。しかし、それらの行為が、ひとつのカテゴリー=「いじめ」でくくられる根拠は、A章で述べたごとくいじめの問題化の過程からしても、そこに「いじめ」被害者がいる、ということに尽きるであろう。
こうしたいじめの「定義」は観察者によって見出されたものであるばかりでなく、というよりもむしろ、当事者(被害者、加害者)によって、実践的に運用されているものなのである。すなわち先の根拠は、「いじめ」を行う側にとっても、欠くべからざる要件となっている、ということだ。この意味で、いじめを被害者の存在から定義するといっても、単に被害者側の主観によって発見可能だというわけではない。むしろ、いじめは言説的実践の場において実在している、と言っているのだ。
殴る、蹴るなどの暴力、恐喝などにおいて被害者は容易に生産される。しかし、仮にそれがシカトのように第三者からはその行為の存在が明確になりにくいものであったとしても、(そしてそれは加害者にとっては都合の良い隠蔽である)、なおかつ、その行為は被害者には明確に「いじめ」であると認識されなければならない。さもなければ、それは「いじめ」ではなく、ただ「会話をしない」という行為の不在に終わるからである。
要するに「いじめ」という行為は、B「君はいじめられている」の「君」を<被害者>として主体化することによってはじめて、その行為としての意味を持つといえるのだ。
それは、たとえばいじめが肉体的な暴力という形を取ったとしても、そのいじめによる苦痛は、肉体的な痛みに還元されないなにものかを<初めから>含みこんでいるということである。そしてその苦痛とは、いじめ実践によって自らがいじめ<被害者>としての位置に置かれ、そのように呼ばれることに由来する言語的な傷つけの効果である。「いじめ被害者」という「名」のなかに含みこまれた無力、孤立といった様々な否定的な意味を彼/女は自らに刻み込み、背負うことになる。いじめとはいわば、「いじめ被害者」という「名」に貼り付けられた否定的意味を、選ばれし被害者の中に反復し、再現する実践であるといってもよいだろう。
かくして「いじめ」実践の場では、さまざまな行為が上の問いかけの反復となる。そしてそれに「君」が応答したとき、<いじめ>は完成する。
「いじめ」の告発は、加害者の行為によってなすのが難しい以上、その成否は自らの苦痛を述べることにかかっていることはすでに述べた。そしてこの苦痛の表明は、そのまま「いじめ」の呼びかけに応答する、ということになるのである。それはいかなる帰結をもたらすのであろうか。
現実にさまざまな応答とそれに伴うさまざまな帰結があったし、またありうるだろう。いじめ加害者との対決、自殺による告発、教師・両親に助けを求める、学級会などに伴う問題提起など。そしてこのとき、舞台はいじめ実践の場からいじめ告発の場へと移行することになるだろう。ただこの移行がいじめ実践の場の終結をもたらすかどうかはまったく保証の限りではないのである。
いったん自らを「いじめ」<被害者>として位置付けてしまえば、それ以前には別の解釈(「ちょっと機嫌が悪いだけなのだ」、「単に口を利きたくないだけなのかも」、「これは遊びなんだ」)をなし得たさまざまな行為がことごとく自らに対する「いじめ」行為であると解釈せざるを得なくなるだろう。彼/女はいわば完成した「いじめ」にさらされつづけることになる可能性がある。このリスクと告発の成功の可能性との兼ね合いで、応答する・しないは決定されるだろう。そして自殺という手段が間違いなく、物理的にいじめ実践の場の終結をもたらすという意味では、ひとつの(有力な)手段として被害者の目に映じることも、さして不思議なことではない。実際、自殺までは行かずとも、告発それ自体が「いじめ」の反復を含意してしまう構造をもってしまうならば、いじめ被害者にとって自らの取りうる道は極めて限られたものと映じることになるだろう。さらに、加害者にとっては逆に、自殺=被害者の抹殺は「いじめ」の完成という意味を持つ場合さえある。この場合、自殺によっては「ひとつの」いじめしか終わらず、告発としてはまったく無意味だということになる。
ここにおいて、奇妙な反転が起こっているのである。苦痛を表明し、「君はいじめられている」という呼びかけに応答すること自体が、<いじめ>に荷担(いじめによる苦痛を呼び覚ます)することになる。したがって被害者は<被害者>となることを拒否するべく、告発の場の呼びかけに応答することをも躊躇することになるだろう。彼/女は自ら、いじめ告発者としての<被害者>の位置に立つことをも拒否し、いじめの隠蔽に荷担する。
この場合、<いじめ被害者>の場所も「空白」のまま、残されることになる。「いじめ」言説は<加害者>、<被害者>ともに不在のまま、反復されつづけることになるだろう。
「いじめ」言説は、同じ呼びかけ「君はいじめられている」が、実践の場、告発の場双方においてなされることによって、すなわち、その二重性において、
という特徴を持つことになるのである。
いじめをめぐる言説編成・葛藤は、被害者の告発=問題化とはいささかずれた経緯をたどることが多い。いじめの問題化、顕在化が必ずしも被害者によって積極的になされるとは限らないのだ。このためにいじめの告発は、告発者の意図とは全くずれた方向へ進んでいくことだろう。ひとつには、訴えがない以上、それは存在しないものとして葬り去られる場合があるだろう。しかし、それにとどまらないのだ。仮に何らかの形で顕在化されると、今度は「なぜそれに周りは気づかなかったのだ」と被害者と周囲(親や教師)との関係(信頼の欠如)が問われることになりかねないのだ。
本報告は、「いじめ被害者」のおかれた困難を、いじめ言説の持つ実践性の中から説明する試みである。これは「いじめ被害者は、何故自ら告発しないのか」「被害者は何らかの告発をしていたはずなのに、なぜまわりは気づかなかったのか」という被害者およびその関係者にたびたびつきつけられてきた問いを無効化しようという試みを含んでいる。