ライティング実習2A 13組

2018年度 前期 木03 13:30-15:00 瀬田2-119

架空レポート修正

課題

「比較社会学入門」架空課題に掲載されている二つの文献を用いて、以下の修正を行え。また最後にこの二つの文献を文献一覧としてまとめよ。

以下の文章の引用部をブロック引用に修正せよ。

2012年国民投票の結果は有権者の意識自体に大きな変化があったことを示している。これまで圧倒的少数にとどまっていた「廃止」が過半数を占めた。死刑制度廃止を強行した民主党政権から保守党政権に代わってもなお有権者の多数は死刑制度の復活を望まなかったのである。

なぜ2012年に死刑制度に関する民意は変化したのか。μ国政治学者のヤジーマは以下のように分析している。2012年フークム政権が実施した国民投票結果に保守党の死刑制度復活派は驚いていたが、この結果は実は予想されたものであった。死刑制度復活派はこれまでの死刑存置に投ぜられた票をすべて死刑そのものへの賛成だと考えていた。しかし事実はそうではなかった。有権者がそれまでの結果で示していた支持の中には現状維持に対するものが含まれていた。かれらは今ある制度が今あるように維持されることを支持したのであって、死刑が廃止された後は、かれらは廃止されたその現状を支持したのだ。ヤジーマは「有権者の意思」解釈に含まれる危うさを述べている。ある制度に対する賛否を問うとその制度の中身とは別に今ある制度の現状維持を支持する人々が一定割合出てくるというのだ。

μ国死刑制度においては世論が制度を変えはしなかった。法・制度の変更が世論を変えたのである。

ブロック引用解答例

2012年国民投票の結果は有権者の意識自体に大きな変化があったことを示している。これまで圧倒的少数にとどまっていた「廃止」が過半数を占めた。死刑制度廃止を強行した民主党政権から保守党政権に代わってもなお有権者の多数は死刑制度の復活を望まなかったのである。

なぜ2012年に死刑制度に関する民意は変化したのか。μ国政治学者のヤジーマは以下のように分析している。

2012年フークム政権が実施した国民投票結果に保守党の死刑制度復活派は驚いていたが、この結果は実は予想されたものであった。死刑制度復活派はこれまでの死刑存置に投ぜられた票をすべて死刑そのものへの賛成だと考えていた。しかし事実はそうではなかった。

有権者がそれまでの結果で示していた支持の中には「現状維持」に対するものが含まれていた。かれらは今ある制度が今あるように維持されることを支持したのであって、死刑が廃止された後は、かれらは廃止されたその現状を支持したのだ。(Yajeama 2013: 43)

ヤジーマは「有権者の意思」解釈に含まれる危うさを述べている。ある制度に対する賛否を問うとその制度の中身とは別に今ある制度の現状維持を支持する人々が一定割合出てくるというのだ。

μ国死刑制度においては世論が制度を変えはしなかった。法・制度の変更が世論を変えたのである。

以下の文章を適宜要約引用するように修正せよ。

タカーシは退陣後の手記で死刑制度においては間接民主性的アプローチこそが重要であると主張する。そして死刑制度に対するμ国民の意識は感情的であって、刑罰に対して専門的な知見は不要であり、感情論で構わないと議員たちも考えていたという。それは間違いであるとタカーシは主張する。死刑制度は人権の根幹に関わる刑罰であり、人権という概念は徹頭徹尾専門的な知見でもって取り扱われなければならないと主張するのだ。そして2009年に世論調査を実施して「廃止」論が少数に止まったことを反省する。死刑に処せられた者が冤罪であったと事実がタカーシを焦らせたと述懐する。そして彼の死刑は廃止されなければならないという信念は一層強固なものになったらしい。しかしその事実を突きつけるだけで死刑廃止に国民は同意するだろうというタカーシの見積もりは間違っていた。国民の何%がμ国が批准している国際人権規約の中身を知っているのだろうかとタカーシは問う。わが国の国民の人権意識はタカーシが期待したものより遙かに低かったというのだ。

このタカーシの言葉は大衆蔑視であるとして激しい批判に晒された。ただ人権を正当に扱うには相当の専門的な知見が必要であること、そして人権の尊重は国家が果たすべき義務であることはタカーシの政治家として譲れない信念であり、それは彼のエリート主義的な物言いとは別に評価されるべきであろう。

要約引用解答例

タカーシは退陣後の手記で死刑制度においては間接民主性的アプローチこそが重要であると主張する。死刑制度に対してわが国の国民の意識は感情的なものであり続けた。刑罰に対しては専門的な知見は不要であって、感情論で構わないとする考え方が議員たちをも支配していた(Takahshi 2014: 129)。それは間違いであるとタカーシは主張する。人権という概念は徹頭徹尾専門的な知見でもって取り扱われなければならない。そして死刑制度は人権の根幹に関わる刑罰なのだ(Takahshi 2014:130)。そして2009年に世論調査を実施して「廃止」論が少数に止まったことを反省する。死刑に処せられた者が冤罪であったと事実が私の中で途方もない焦りを持たせた。死刑は廃止されなければならないという信念は一層強固なものになった。しかしその事実を突きつけるだけで死刑廃止に国民は同意するだろうという私の見積もりは間違っていた。国民の何%がわが国が批准している国際人権規約の中身を知っているのだろうか?わが国の国民の人権意識は私が期待したものより遙かに低かった(Takahshi 2014:131)。

このタカーシの言葉は大衆蔑視であるとして激しい批判に晒された。ただ人権を正当に扱うには相当の専門的な知見が必要であること、そして人権の尊重は国家が果たすべき義務であることはタカーシの政治家として譲れない信念であり、それは彼のエリート主義的な物言いとは別に評価されるべきであろう。

文献一覧
  • Takahshi, Ahi, 2014, J'avais raison, Université Mu 1 Panthéon Press.
  • Yajeama, Maimii, 2013, ”Situation actuelle et les questions de la démocratie en mu”, Journal de Mu Politique,13,35-46.