ライティング実習2A 12組

2024年度 前期 木03 13:30-15:00 瀬田3-B104

「情報社会学概論」のレポート

あなたは大学生のレポート・卒論執筆代行のアルバイトをしている。グレーな仕事であることは承知しているが、お金のためには背に腹はかえられないのだ。

あなたのミッションは持ち込まれた課題に即したレポートを依頼者に代わって執筆し、60点以上を獲得することである。60点未満(不可)ならあなたの作業は全て無駄になり、ただ働きとなる。可(60~70)評価でも最低限の作業代金は出るが、あなたの仕事上の評価は非常に厳しいものとなる。逆に秀(90以上)なら特別ボーナスが出るうえ、次回の基本給も大幅にアップする。

そうはいってもバイトなのだ。与えられた課題に即した先行研究をきちんと全てレビューし、さらに独自にデータを集めれば良いのは分かっているが、そこまで手間はかけられないのが正直なところだ。もちろん余裕があればそうしても構わない。でも依頼者から添付されてきたデータを再確認するだけで高評価を得られるレポートを書けるならそれが一番ありがたい。もっと欲をいえば添付データなど全く見ずに、自分の頭の中の知識と、足りなければネットでちょこちょこググって得られる情報で良質なレポートを書ければそれはそれで万々歳。

というので今回依頼されたレポートが下記の内容である。前回はネットでググれる情報を再構成(という名目の実質コピペ)するだけでレポートを書いたが、お情けの「可」評価であったということで、なんとか挽回をしたい。そのためには多少なりとも何らかの工夫は必要そうだ。情報社会学概論の担当者は成績判定が厳しく、単位を落とす学生がそれなりに出るという噂である。

模擬レポート条件
  • 量的調査データは下記データを用いる(必須)
  • 質的調査データは何かしら適当なものがあることにする
  • 文献は実際にさがす必要は無い(探してもOK)
    下記文献データの他、実在文献・非実在文献を適宜利用して構わない
  • 執筆するのは
    1. はじめに
    2. 序論
    3. 本論(量的調査データパートのみ)
    4. おわりに
    の部分である

依頼レポート

情報社会学概論レポート
ICTの普及が(学校・大学)教育にあたえる影響について、授業中に紹介した文献および自身で読んだ文献を踏まえ、授業配布データおよび自身で集めたデータを用いて分析し、その結果を自由に論じよ(3500字程度)。
  • 量的調査データの利用は必須
  • 量的調査の結果報告書ではない
    • 量的調査データから得られる主張よりも抽象度を上げる

依頼者から送られてきたデータ類

下記データは授業中に使用したものらしい。元データは授業担当者(安倍愛)が科研費を用いて行った2022年度の調査から得られたものであるが、そこから作成された集計表やグラフは授業担当者が作成したものと依頼者が独自に作成したものが混在しているようだ。どの集計表・グラフが依頼者が作成したものなのかは分からない。

大学生のICT利活用と日常生活との関連に関する調査
  1. 調査概要
  2. 回答結果データ
  3. 分析結果
質的調査データ
  • 大学生を対象としたインタビューを行った書き起こし(内容は適宜)
  • その他さまざまな質的調査データ(内容は適宜)

依頼者作成の文献メモ

依頼者が授業中に紹介された文献をもとに抜粋したメモ。といっても授業中に渡されたプリントそのままらしい。本来は直接原典に当たるべきだが、あなたがアクセスできる図書館ではいずれの文献も在庫になかった。時間の都合などもあり、手抜きして原典には当たらず、このメモはそのまま利用する。実質的に授業担当者が作成したものなので、内容に間違いは無いだろう。

文献1

スマートフォンが普及し、教育現場にまで持ち込まれることは想定の範囲内であったが、その弊害は多大なものであった。スマートフォン容認派は学生・生徒への不断の指導で対処可能なものと考えていた。しかし現実はそうはならなかった。 学生・生徒のスマートフォンを用いたネットアクセスは教員のコントロールの埒外にあるのだ。どのようなサイトにアクセスし、どのような情報を発信するかは教員からは完全に不可視化されている。教員の努力でどうにかなるものではなかったのだ。(浅倉衣梨奈大学生にスマートフォンを持たせてはいけない情報社会学103(2) (2016,pp.24-32)p.29)

文献2

大学教員に対するわれわれのアンケート結果を見ても教員のスマートフォンに対する警戒感は強く出ている。87%の教員が授業中のスマートフォン使用に対して否定的である。自由記述欄にも授業中のスマートフォン使用に対する嘆きが多く見られた。「受講者の多くが授業中にスマホを弄っていて、講義を聴いていない」「レジュメにメモもせずにスマホを見ている」「以前は寝ていた学生が今はスマートフォンを触っている。基本的に不真面目だ」。手元で目立たずに操作できるスマートフォンは教員に注意されづらいのを良いことに授業中の学生の気晴らしに使われている実態は明らかである。(小野田楓大学教育におけるスマートフォンの弊害情報社会学104(3) (2017,pp.12-23)p.15)

文献3

デジタルデバイスを学校教育で扱う際に、もっとも配慮しなければならないのはデジタルデバイドの問題である。デバイスを使いこなせる人と使いこなせない人との間には深刻な格差が生じる。そしてこの格差は実際のところ階級問題なのだ。すなわちデバイスを幼少期より容易に手にし、なじんできた人と、そうした環境にないものとの格差が問題となるのだ。学校教育で後者が疎外感を持たずに済むような施策を考えなければならない。子どもたちが自由にデバイスを持ち込んだり持ち込まなかったりするような状況では、持たざる子どもは必ずや疎外感を抱くことになる。それに対してどう対応するのか、問われているのはそれなのだ。

だからといってデバイスを学校から排除するというのは全く現実的ではないばかりか、端的に間違っている。そうして見せかけの「平等」を学校内で実現したところでデジタルデバイドは解消されない。どのみち社会に出ればITの活用は求められるのだ。そうであるならば学校教育でこそITを自在に扱えるスキルを平等に身につけさせることこそがデジタルデバイド解消の唯一の道というものである。(新沼知沙希大学生の貧困問題を考える革命思想503(1)(2013,pp.44-61)p.33)

文献4

パーソナルコンピュータの普及が大学生の学力に悪影響をもたらすことは明白である。パーソナルコンピュータを使用した学習と、紙媒体を使用した学習では、紙媒体を用いて学習した方が、内容をよく理解し、記憶することができる。パーソナルコンピュータの「お手軽さ」のために、学習内容が紙媒体に比べて、利用者に記憶しにくく、また理解しにくいのである。苦労せずに身につけようとした知識は結局身につかないのだ。一見非効率的に思えようとも安直な策に飛びつかず、拙速に解を求めず、地道に紙媒体で情報を探すこと、それこそが現代の大学生が行うべき勉強法なのだ。(小片聖大学生の学力は低下している(扇動新聞社,2012)p.253)

文献5

大学生におけるスマートフォンの利用が近年急激に増加しているが、同時に大学生のスマートフォンの依存が著しくなっている。一般的なスマートフォンの使用方法に加え、大学生だからこそのスマートフォンの使い方がある。連絡手段としてだけでなく、多岐にわたって多くの使い方ができるスマートフォンは大学生の生活になくてはならないものであり、この関係性は今後、より密になっていくであろう。例えばサークル活動をする際のコミュニケーション手段、学業での情報収集、さらにバイトに応募をする際にも必要となる。そして就職活動でもスマートフォンは必須となっている。こうしてスマートフォンは大学生にとって必要不可欠なアイテムとして切っても切り離せない関係になっているのだ。そうであればこそ、学生たちはスマートフォンに依存しきってしまい、直接人と語り合ったり、図書館で調べ物をしたり、外国書を手写しにするといった手間をかけた活動をしなくなってしまった。確かに学生生活の効率性は上がった。しかしその質となると甚だ心許ないといわざるを得ない。こうした状況でもっとも毀損されているのは教養なのである。(山岸亜佑美教養主義の衰退 (OHP出版,2014) p.36)

文献6

SNS利用が学生間で定着した今、自己評価とSNSで表象される評価を混同することで、 自己肯定間の低下につながる恐れがある。 現代ではSNSが学生を含む、幅広い世代に普及した。それにより現代の学生は自己中心的な考えに陥ってしまうことが多くなった。SNSの中には、所謂「いいね」機能により他者からの評価が目に見えるものが多く存在している。SNSを利用する中で、数で見えるわかりやすい評価を気にする学生が見られるようになった。投稿に対する評価を気にする結果、自分が他者からどう見られているかにまで気にする学生も多くみられる。中には、自分の評価ばかり気にする自己中心的な考えに陥ってしまう学生が多くみられるようになった。 Twitter やインスタグラム等SNSへ投稿した際の数で見える評価と自分自身への評価を混同させている学生が存在しているのだ。自分自身への評価は他人からの評価に左右されず自分自身が決定するものである。他人の無責任な意見や軽はずみな感情が含まれた評価で自分自身を評価することは自己肯定感を低下させる結果につながる可能性がある。SNSの数で見える評価は、誰でも簡単に決めることが出来る。誰でも簡単に評価ができるため、その評価は無責任なものや投稿者の気持ちを考えることのない軽はずみなものになるだろう。(岸本優樹大学生の自己評価情報社会学102(2)(2015, pp.13-26)p.14)

文献7

企業採用担当者インタビューから明らかになったことは、最近の大学生はスマートフォンに依存することで対人関係におけるコミュニケーション能力が低下しているということである。多くの採用担当者から「人の目を見て話すことができない」「近年の大学生は、受け答えがうまくできる子が少ないように感じられる」などの意見が数多く見られた。こうした状況をもたらした原因の全てを大学生のスマートフォン依存に求めるのはいささか拙速であるにしても、原因の一つであることは間違いない。大学生のコミュニケーション能力が低下傾向にあるということは中澤(2010)の調査でも明らかである。家庭内での会話は小学校・中学校・高校・大学とこどもが成長するにつれて減少する。そしてスマートフォンの使用時間が長ければ長いほどその会話時間は削られていくというのだ。いまの大学生は、暇さえあればスマートフォンを使用し、スマートフォンなしの生活など想像もつかないのではないか。さらに石黒(2011)が明らかにしたことには使用目的の違いによるコミュニケーション能力に差は生じない。使用目的にかかわらずスマートフォンを使用するということは、他者との交流を遮断してしまうのだ。その結果、コミュニケーションをとる機会が減少し、必然的にコミュニケーション能力の低下につながる。大学生のスマートフォン使用は、コミュニケーション能力の向上・維持に悪影響を及ぼすのだ。(浅倉衣梨奈 大学生のスマートフォン依存の弊害講座情報社会学3 大学と企業高橋彩花・新垣朱莉編(白金大学出版会,2016,pp.3-26) p.9)

文献
  • 石黒梨紗子, 2011, ICT依存によるコミュニケーション能力の衰退情報社会学91(3), 8-15.
  • 中澤雅, 2010, 家庭内でのコミュニケーションの減少家族社会学批評505(4), 12-23.

文献8

飯田(2011)はスマートフォンが普及することにより、大学生の睡眠時間が大幅に減少しているということを明らかにした。たしかにスマートフォンは現代の私たちの生活には欠かせない便利なものになっている。 SNSの普及によって、いつでもどこでも他者とつながりを持てるようになり、娯楽の一部としての存在でもある。しかし、その便利さによって、生活に悪影響を及ぼしている。スマートフォンの使用時間は増加傾向にあり、スマートフォンへの依存が問題になっている。スマートフォンでつながりを持てるようになった一方、そのつながりが今の私たちの人とのコミュニケーションや人間関係を築く際において重要なものになってきている。そのため、 LINE などのチャットアプリなどで人とコミュニケーションをとっていると、なかなか会話が終わらず、また既読機能によって「返信しなければならない」という意識が強くなり、寝る時間が短くなっても使い続ける。ゲームや動画もスマートフォンでいつでもどこでも手軽に利用できるようになり、ますますスマートフォンに依存するようになるのだ。スマートフォンを就寝前に使用せずにいられないことはまさにこの依存状況の表れであり、学生の睡眠、さらに学校生活に悪影響を及ぼしているのである。(安本真莉愛 大学生の睡眠生き生き健康生活11(1) (2005) 10-32. p.32)

文献
  • 飯田佐紀, 2011, 大学生の健康状態健康社会学10(1), 45-56.

文献9

学校に携帯電話を持ち込むことに対して、多くの教育関係者の反応は感情的なものであった。携帯電話のもたらす危険性に対する恐れが根底にあり、一律禁止すべきであるとする考え方が支配的であった。ネットを用いたいじめの可能性、不適切な情報を閲覧する可能性、そして持つ生徒と持てない生徒との格差が主たる論点であった。しかしその実かれらの携帯電話に対する感情は何よりも学校に「遊び道具を持ち込まれる」という不快感であった。マンガや雑誌、ゲーム機と同等のものと見なし、そうしたものが学校に持ち込まれることによる学校秩序の乱れをこそ、かれらは怖れていたのである。携帯電話普及期、携帯電話が一部の人間の嗜好品と見なされていた時期から怖ろしく進歩していないのだ。情報通信技術が大幅に進化し、従来型携帯電話からスマートフォンに移行し、その普及率が上昇してもなお、「携帯電話は特殊なものである」という意識が教育関係者を支配し続けた。

しかしそれは明確な誤りである。携帯電話を用いてネットにアクセスすることは確かに生徒を危険に晒す可能性を孕んでいる。そうであればこそ学校はその危険性に対する対処方法を教育しなければならない。学校は確かに生徒をリスクから守らなければならない。しかし守るというのは単にリスクから遠ざけることではない。リスクを含めた様々な状況に対して柔軟に対処することこそが生徒を守るということなのだ。

携帯電話は数ある情報通信機器の中でももっともコモディティ化した機器である。それだけに社会の成員全員が所有するものとして対処しなければならない。もはや携帯電話はマニアのおもちゃでもなければ、特定の職業人の道具でもない。社会に普通に生きていくうえでの必需品なのだ。かつての「読み書きそろばん」は今や「読み書きケータイ」になったといっても過言ではない。その利用方法は学校教育でも最優先に取り扱うべきミッションというべきである。(アデラ・タボルスカ(Táborská, Adéla)若年層の情報機器活用術(Mladí lidé používají informační zařízení,praɦa:Univerzita Karlova v Praze)生田樹々訳,(朝椿大学出版会,2009=2017) p.131)