「比較社会学入門」

授業では日本との比較対象としてμ国を取り上げた。μ国に関しては「μ国」説明ページを参照すること。

「入門」ということで学生にも比較的興味関心を持ちやすい「死刑制度」を題材とした。μ国では2010年に死刑制度が廃止されており、その経緯を踏まえて、死刑に関するμ国国民の意識や政治過程について様々な解説がなされた。

架空レポート

μ国死刑廃止の経緯やその際の論点を踏まえて、日本の死刑制度についてあなたの考えを自由に述べなさい(原稿用紙25枚以内)。

資料類

授業中に配布済み

文献1 2009年民主党政権時のタカーシ元首相の回顧録の一節

死刑制度に対してわが国の国民の意識は感情的なものであり続けた。刑罰に対しては専門的な知見は不要であって、感情論で構わないとする考え方が議員たちをも支配していた。ハムラビ法典の応報刑の原理から怖ろしく進歩していない刑罰観がいまだに残り続けているのだ。様々な技術や制度は大幅に進化し、法律もそれに合わせて改正が重ねられたが、刑法だけは古い衣を着続けていた。

しかしそれは明確な誤りである。感情というものは確かに一定普遍性を持ちうる。そうであればこそ法は感情とは一定の独立性を持って運用されなければならない。刑法は国家が直接に人権に関与しうる法律である。被害者感情に根ざした国民感情は一定尊重されるべきことは当然であるが、それ以上に重要なものがあるのだ。 近代民主主義国家がもっとも重視すべき大原則とは人権尊重である。国家権力が人権を毀損することは何よりあってはならず、私的領域での人権毀損に対しても国家は介入する義務を負うのだ。

人権概念こそは世界史の中で人類が手にした最高の発明品である。それだけにおろそかな扱いは許されない。人権は同情や哀れみと言った感情的なものとは全く異なったすぐれて社会的な概念である。それ故この人権という概念は徹頭徹尾専門的な知見でもって取り扱われなければならない。そして死刑制度は人権の根幹に関わる刑罰なのだ。 私は政治家になって以来、死刑制度は廃止されるべきであるという信念を持っていたが、それを実現するのには相当の準備が必要である事は分かっていた。いずれ政治家生命をかけてこの問題に取り組むつもりであったが、それ以外になすべき課題は多数あった。

しかし2009年に発覚した冤罪事件は私に取り組むべき課題の優先順位を大きく変えさせた。死刑に処せられた者が冤罪であったと事実が私の中で途方もない焦りを持たせた。死刑は廃止されなければならないという信念は一層強固なものになった。しかしその事実を突きつけるだけで死刑廃止に国民は同意するだろうという私の見積もりは間違っていた。国民の何%がわが国が批准している国際人権規約の中身を知っているのだろうか?わが国の国民の人権意識は私が期待したものより遙かに低かった。 (Takahshi, 2014, p.131)

文献2 μ国政治学者ヤジーマの論文「ミュー国における民主主義の現状と課題」の一節

2012年フークム政権が実施した国民投票結果に保守党の死刑制度復活派は驚いていたが、この結果は実は予想されたものであった。死刑制度復活派はこれまでの死刑存置に投ぜられた票をすべて死刑そのものへの賛成だと考えていた。しかし事実はそうではなかった。

有権者がそれまでの結果で示していた支持の中には「現状維持」に対するものが含まれていた。かれらは今ある制度が今あるように維持されることを支持したのであって、死刑が廃止された後は、かれらは廃止されたその現状を支持したのだ。(Yajeama, 2013, p.43)


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