重層的非決定

モーニング娘。

L. Althusser

No.28
2004/06/01-2004/08/31

★未来へ

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■貧乏暇なし

やるぞ、やるぞといいながら全然進んでいないJavaのお勉強。いよいよ切羽詰ってきた。Javaでシステムを構築する研修の*講師*をやることになりそう。ヤバ。まだまともにプログラムもかけねーよ。というわけで、どっかで缶詰してでも何とかしなければならないのだが、火曜日から金曜日まで東京。帰って来たらすぐに一週間の研修の現場責任者。気がつけば夏が終わり、もうすぐ9月。

(2004年8月15日)

■どくしょかんそうぶん

たまには本も読まなければ、というわけでここ一週間に立て続けに買った本を一応記録。

フーコーとクイア理論 タムジン・スパート
買っただけ。まだ読んでいない。
フリーター亡国論 丸山俊
フリーターを通して社会の矛盾などを見ようという趣旨。「若者論」としてではなく、企業社会論としてみようという視点は妥当だろう。豊富な統計データを駆使して、ざっくり現状を提示していて、読みやすく、主張もおおむね妥当。ただ(ほんの趣旨からないものねだりではあるが)一つ一つの論点の突込みがやや甘く、「論」というよりは概説書にとどまっているのが残念。「アエラ」あたりでの特集にも同趣旨のものがあるが、アエラのほうが実際に働いている人への取材がある分、リアルかもしれないと思わせる。
フリーターという生き方 小杉礼子
アカデミズムサイドから見た「フリーター」研究を読んでおこうと思って購入。未読。
封印される不平等 橘木俊詔編
フリーター論からもう少し始点を広げて日本社会における「不平等」の問題に着目している各分野の専門家の対談と編者の論考をまとめた本。対談部分だけ読んだ。社会学者・経済学者・教育社会学者・ジャーナリストという微妙に異なる立場の論者が各々の知見から意見を交換し合う。とりあえず現時点での研究水準の概略を知る、という上ではとても分かりやすい。
ポル・ポト<革命>史
ポルポト政権の盛衰をジャーナリスティックに描いた書。直接今の日本においてどうこうということはないが、しかし「他国の歴史」では済まされぬリアルさを感じるのはなぜか。

ここのところ、「読書」というものをしていなかったので、リハビリ代わりにジャーナリスティックな本をざっくり読んだ。当面はこのぐらい。

(2004年8月15日)

■「な」「ち」

「な」と「ち」を買いました。「っ」はさすがに買えませんでした。

意味が分からない人はなっちこと安倍なつみ新曲「恋のテレフォンGOAL」のCD、初回限定版と通常版、DVDを購入するように。

というか、あのジャケット、拷問です。30代のヲタが多いといわれる安倍ヲタへに対する拷問です。でもその仕打ちに耐えてこそ、安倍ヲタとなれるのです。

(2004年8月15日)

■遅ればせながらのドラマ感想文

新しいクールが始まってもう半分を経過してしまった。今クールは視聴率も低迷気味らしい。とりあえず私が見ているドラマの感想文。

東京湾景
仲間由紀恵が出ている以上、何があっても見る。「在日」という設定は原作にはないものらしい。韓流とかいわれる流れに乗っただけとすればずいぶん安直だが、しかし経済的な「上流」と民族差別という「マイノリティ」の交錯を描き出す設定自体は悪くない。ただ登場人物にその背景がにじみ出てこないのがつらい。「在日」という設定が意味を持っているのが、仲間由紀恵の親戚サイドだけで、「日本人」の側にはほとんど何の影響もない。それだったら「上流」社会の人間が「ガテン」系を受け入れない、という設定でも同じことだ。仲間の相手役およびその周りの人間が余りに「無垢」過ぎて、「在日」「上流」の仲間の周りだけの話しになってしまっては、演技力以前にその相手役の人間性とか魅力が出てこない。主役の相手役に魅力が出てこなければ、ドラマは生きない。
WATERBOYS2
映画WATERBOYS、ドラマWATERBOYSの3匹目のどじょう。設定はそれなりに考えてあって、元女子高が共学になり、そこに男子シンクロ部が誕生、というのはそれなりに新しい展開を出しうるようにはなっている。しかしうまく行っていない。なんというか、全体の雰囲気が陰鬱なのだ。この手のドラマはどう考えても爽快感のようなものが売りだろうに、逆に陰鬱。シンクロ部の邪魔をする生徒会・教師の描き方が暗いのだ。映画や前回のドラマではその役割は「男」だった。今回はその役回りを「女」が演じる。その「女」の描き方が妙なステロタイプというのか、この手のコミックドラマの敵役にあるべき「滑稽さ」がなく、くそ真面目に陰湿なだけだ。ま、「男」を引き立たせたいドラマなのだから、それでいいのかもしれないが。
君が想い出に変わる前に
観月ありさ、だねえ。見ていていらいらするほどあほな女の役を大根の観月が演じる。とてもいたたまれない。椎名桔平と木村多江の絡みで支えられている。
ラストプレゼント
設定はいつもながらにとてもあざといのだが、天海祐希がそれに全然あっておらず、能天気なのがこれまたいつもながらに狙い通りか。永作博美、須藤理彩もよい。設定・描き方などに新しいものはまったくないが、一つ一つのエピソードや登場人物は結構丁寧に描かれている。
南くんの恋人
深田恭子と安倍麻美に免じて見る。原作は「エロコメ」路線の漫画らしい。その「エロ」を消し去ったものだから、いまいち何をやりたいのか、よく分からない。いきなり体が小さくなる、という設定の「必然性」が見えてこないのだ。
バツ彼
90年代トレンディードラマの再演もの。配役といい、テーマといい、いまさら感が漂う。真矢みきがちょっとエロチックで、それが見どころか。
人間の証明
刑事たちの描き方は結構丁寧で、悪くない。主役の竹野内も製作側が宣伝するようにはまり役といっても良いだろう。でもいまいち。謎解きものにしたいのなら、もっと伏線をきっちり張って、「謎」を「謎」たらしむるべきだし、そうでなくて「人間」を描きたいのなら、もっと状況を整理して、すっきり見せたほうが良い。今のは、いろいろな状況がごちゃごちゃしていて分かりづらいだけで、中心となる「謎」がない。よく「分からない」ことを特に「知りたい」と思わせないのは失敗だろう。
世界の中心で愛を叫ぶ
題名だけでお腹いっぱい。それでも「幸福の王子」他でちょっとひねくれた女子高生役をやっていた綾瀬はるかが主演となれば、とりあえず見ざるを得ない。しかしやはりというべきか、綾瀬はるかの魅力が全然出てこない。そりゃそうだ、ちょっとひねこびた今時の女の子、というのが魅力だったのに、80年代の清純な女子高生という役柄ではどうにもならん。それでも(私は見ていないが、ネットでの評による)映画では、今と昔の描き方にそれなりに工夫があって、題名から想像されるほど「べたべた」な作りにはなっていないらしい。現在の主人公の鬱屈した心性の中での「輝ける過去」という妄想として過去が描きだされる。過去の美しさは現在の屈折した表象である、というのは設定として悪くない。染み一つない美はそれ自体が染みなのだ。それに比してドラマは単に現在と過去を交互に描くだけで、主人公ではなく、作り手が過去を美化してしまっているだけで、まさに題名どおりの「純愛」礼賛に終わってしまっている。
愛情イッポン!
見ていません。一瞬見たけど、中村雅俊と餓鬼との心のふれあい、みたいなノリになりそうで、私の許容範囲を超える恐れが大だったので。松浦の演技にはちょっと興味があったのだが。
逃亡者
主人公を演じる江口洋介が少し真面目モードでやりすぎ。もう少し豪胆さとかオプティミスティックな部分を出したほうがよいと思う。もともとの設定に無理があるのだから、変なリアリズムは不要。

全体に低調だな。

(2004年8月5日)

■恋のテレフォンGOAL

なっちこと安倍なつみの新曲、どうやらCCCDだというのは誤報だったようで、何より。というわけでこのサイトに訪れた方は全員1万枚ずつ購入するように。

この曲、賛否両論、安倍ヲタの間での評価は完全に二分されている。しかもネットで見る限り、熱心ないわゆる「マジヲタ」ほどこの曲を嫌がっているように思われる。何で23歳にもなってこんなばかばかしい曲を歌わなければならないのか。もっと「大人」の曲を歌わせるべきだ。こんな曲はキッズか、松浦にあてがって置けば十分だ、など。

まさしく然り。この曲を松浦ヲタなら受け入れただろう。そこに安倍ヲタのだめさと松浦ヲタのセンスが表れている。特に安倍の声は艶っぽさとか伸びとかがないから、真っ向勝負ではどうにも魅力に欠ける。逆に23にもなってこの曲を歌えるのは、5年後の松浦、7年後の辻加護はともかくとして、今現在では安倍ぐらいのものだろう。それを(希少)価値といわずして、何を価値というのか。モーニング娘。から始まる「ハロープロジェクト」とは常にこの「他にはありえない」という価値によって支えられてきたのではなかったか。残念ながら松浦はなまじ一定の歌唱力があるために平凡な曲を連発してしまい、また後藤真希も普通に「今風」の姿かたちをしているために平凡な存在になってしまっているが、せめて安倍だけは変なアイドルでいてほしいものだ。(と書きながら、この曲のPVを改めてみると、やはりどうにも「痛い」。まだまだ私も修行が足りないようだ)

(2004年8月5日)

■ロリコン考

ハロプロコンサートには、いろいろ余計なおまけがついてくるのは当然で、特に安倍卒業コンはまだしも、つい先日終わった辻加護卒業コンでは、ハロプロキッズが相当出てきていたらしい。

キッズ、正直私は苦手です、ハイ。餓鬼は嫌い。ええ、確かに安倍ヲタ、加護好きの私はロリコン体質かもしれませんよ。でもキッズは違う。あれはありえない、と考えていて、なるほど一口に「ロリコン」といってもまったく異なる意味合いがあるのではないか、と気づかされた。

実年齢とは別に雰囲気などに「子どもっぽさ」のようなものを求めるロリコンと、それとは逆に実年齢が幼いけれど雰囲気に「色気」のようなものを求めるロリコン。一口にロリコンといってもある意味真逆のものがあるのではないか。キッズで人気があるとかいわれている子を見ていて、そう合点がいった。小学生なのに妙な色気を漂わせていたのだ。餓鬼には、いや餓鬼でなくても、「色気などいらん」という向き(私のことだ)にはどうにもありえない世界だ。どっちがより「正常」かはともかくとして。

え?辻加護は実年齢十分幼い?そこはあまり突っ込まないように。

(2004年8月5日)

■商売上手

いつの間にか大分日がたったが、なっちこと安倍なつみ卒業メモリアルDVDなるものを購入。宇多田ヒカルのシングルDVDより売れているとのこと、よきかな。でもモーニング娘。新曲「かしまし」DVDよりは売れていないとのこと、大したことない。

監督が怪しからぬことをしてくれたおかげで発売延期、時機を逸した感がありありだが、内容も期待していたものとは少し違っていた。その某監督はずっと安倍を追っていたとか聞いていたので、きっと懐かしい映像満載だろうと期待していたが、卒業間際の、最近の映像ばかりだった。モーニング娘。安倍の総決算となるような内容を期待していたが、まったく当てが外れた。

卒業前のライブでの様子とインタビューが中心だが、またそのライブ映像が中途半端。どうにも辛抱堪らず、結局安倍モーニング娘。単独コンサートラストステージDVDと安倍ハロプロコンサートラストステージDVDを買い込む羽目となった。二回もラストやるなよ、と言いたくもなる事務所の商売戦略にまんまと敗北。合計8,000円なりを財布の最後の1万円を崩して購入。立て続けに3枚のDVDを買う結果となる。

(2004年8月5日)

■夏休みは計画的に引きこもりましょう

夏は本当にどうにもならない。掲示板にも書き込みをいただいているが、

  1. 折角だからちょっと頭を使ってレスしよう
  2. 頭がぼんやりしているから、集中できる環境を整えよう
  3. それにはまず一寝入りして、疲れを取ろう
  4. ・・・・三時間経過・・・・・
  5. おお。もう晩飯の時間だ
  6. 一服しよう
  7. お。ドラマが始まる
  8. もう寝る時間だ

で一日が終わってしまう。

気がつけば、小学生のころ、登校日の日に聞かされた「夏休みの半分」に当たる日にきている。見事に何もやらずに終わる夏。というか、別に小学生じゃないし、40日も夏休みないといえばないのだが。

(2004年8月5日)

■真の土台

なっちこと安倍なつみ、NEWシングル8月11日発売。「恋のテレフォン GOAL」ってのは既出だが、なんと何とそれがCCCD(Copy Control Cracked Disk)で発売されるらしい。

困った。CCCDは我が政治的信念に従って買うことは出来ない。もちろんそれを支える物質的基盤もある。私はPCしか音楽を聴ける機器を持っていないので、CCCDなんて買っても困ってしまうのだ。変なウィルスまがいのソフトを勝手にインストールする円盤など我が愛機T40のドライブに挿入するわけには行かないのである。

しかしはたまた困ったことに、なっちこと安倍なつみの曲を購入すべしというのは宗教上の教義として従わねばならない。おそらく同時発売されると思われるDVDで済ます、というのは安倍ヲタとして許されない。

宗教など幻想に過ぎぬ。それより資本の横暴と闘え。CCCDなぞに屈してはならぬ。その政治的信念を支える物質的基盤(PCでしか音楽聴けない)が厳然とあるではないか。ここで誘惑に負ければ「奴ら」が付け上がるだけではないか。欠陥品を売りつけんとする「奴ら」のデマゴギーに乗せられてはならない。

残念ながら宗教的執着を甘く見てはいけない。確かに教義そのものはイデオロギーの産物に相違ない。イデオロギー闘争によってデマゴギーには打ち勝たねばならぬ。しかしその教義を支える執着は、強固な物質的基盤(なっち天使!)を持っているのだ。「資本の横暴」などというそれこそ制度化された政治的信念はそれと比べればあまりにも脆弱なのだ。

(2004年7月22日)

■前期終了

暑さにやられて死んでいました。もうね、一日何時間寝たら気が済むのか、と。この一週間ほど、午後はほとんど昼寝。いい年こいたおっさんが、昼間から何寝ているのかと。

で、とりあえず前期分の採点が終わり、最低限のお仕事は終了。本当に「最低限」だけど。

一つの授業だけ、最後に授業の感想を書いてもらう。成績出す前に書いてもらったものだから?学生さん気を使ってか、随分ほめてくれる。授業中はあまり手ごたえを感じなかった。分かっているのか、そうでないのか。課題出したらほぼ全員きちんと出来ていたので、簡単すぎてつまらないのか?とも思っていたが、全体的に難しいと感じていたようだ。それであれだけ課題できていたんだったら、もう少し達成感みたいなのを表現してくれても良いのに。熱心に食いついてくる学生さんなんて2,3人しかいないのかと思っていたが、感想文を読む限りそうでもなかったらしい。

N年前にはじめて授業を持ったときはその辺の反応をもう少しリアルに感じられたのだが、学生さんがおとなしいのか、私のセンサーが狂っているのか。

採点は、まあ、滞りなくやったが、一番嫌な仕事。授業聞いて、それなりに理解してくれていればそれでいいので、それ以上の評価をする、というのは面倒くさいし、面倒くさいし、面倒くさい。「全員よくがんばった!感動した!」、それでいいのに。

(2004年7月22日)

■方舟

ちょっと仕事がらみの愚痴を。

大阪に本部がある某大手パソコンスクール。そこからとある研修に講師を派遣してもらっているのだが、あまりにカスな講師が来て、受講者から不満の声が続出したから、クレームをつけたら、うちでは実績のある講師、本人を連れていくからこっちの責任者にその講師の素晴らしさを分かってもらいたい、とか何とか言ってきた。

おいおい、押し売りかよ。例えていえば、子供の家庭教師が子供とあっていなかったので、母親が担当者換えを要請したら、派遣業者が父親と話をしたいとねじ込んできた、みたいな話。現場でだめだといってんだから、それで終わりなの。

ついでに言っておくとパソコンスクールに講師を派遣させているのは諸々のしがらみからで、まともな講師が派遣されたことは実はほとんどない。「パソコンが好きでぇ、人と接するのが好きでぇ」という程度のノリの半端ものの巣窟。あんなところに金出して通うものではない。

(2004年7月13日)

■忘却

某所で2001年にNHKで放送された「ザ☆ピース」の映像を落として見る。今でこそ「モーニング娘。第二の黄金期」などといわれるが、当時は中澤さんが卒業したこと、「音痴の」石川さんがセンターに立ったことなどから、ずいぶん賛否両論あった曲。その前のシングル「恋愛レボリューション21」より売上も減らした。

それで特に「旧ヲタ」の批判が目立っていたのだが、でも今改めてみてみると(改めてみるまでもなく)、このときは安倍の第二の黄金期でもあったのだな、と気づかされる。別に今がどうということもないのだが、前曲にいまだ残っていた「傷」の痕跡が完全に払拭されて、とても溌剌と若々しくて、よろしい。

ともあれ、「モーニング娘。第二の黄金期」にふさわしく、メンバー各々輝いていて、やや輝きに斑が目立った「LOVE マシーン」にはないきらめきを感じる。安倍・飯田・後藤・辻・加護・石川卒業、ではもはやこの曲も完全にお蔵入りか。

(2004年7月13日)

■購入ガイド

もうリリースされてから大分日がたつが、買おうか買うまいか、ずいぶん悩んで(時間かけすぎ)ミニモニ。最後のアルバム「ミニモニ。ソングズ2」購入。ネットで娘。のセカンドアルバム「セカンドモーニング」と似た感じの仕上がりになっている、とかいう唆しにだまされて、気にし続けていたもの。もっともそうでなくても、アルバム発売直前のシングル「CRAZY ABOUT YOU」がいかにもユニットらしい声の重なりが結構よさげだったこと、安倍ソロと娘。初期を比較して、やはりユニットがいいな、と思っていたこともある。さらに言えば、辻はもともと歌うまいし、高橋はなんか気になるし、加護は豚だし、というのでかなり気になるユニットであったというのもまた確かである。

で、感想。うーん。微妙。「CRAZY ABOUT YOU」を越える曲が結局なかった、という意味で。ついでにこのアルバム、前半と後半に分かれていて、前半はハモ重視の「真面目」路線、後半は矢口在籍時代を含む従来のガキ路線、ということで人によっては後半は「ボーナストラック」などといっていて、私もそのつもりで購入したのだが、意外にも後半の「ガキ」路線の曲が悪くなかった。連続して聞いていて、特に断絶感とか違和感と感じず、すんなり前半と後半が繋がる。なっちアルバムの「おけいさん」が違和感ありありなのとは対照的な仕上がり。

結局ここ半年ほどで私が立て続けに買ったアルバムの好みを順に並べると

  1. デュオU&U W(ダブルユー)
  2. Purity 松本典子
  3. セカンドモーニング モーニング娘。
  4. 一人ぼっち 安倍なつみ
  5. ファーストタイム モーニング娘。
  6. ミニモニ。ソングズ2 ミニモニ。

という感じ。1,2,3および5,6の差はほとんどない。皆様のご参考になれば(なんのだ?)。

(2004年7月13日)

■備忘録(思いつきの羅列)

管理主義もナショナリズムもとどのつまり「欲望」の馴化の手法であって、ただその方法論によって対立しているかのように見えることがある、というだけのことか。「欲望」の空白の中心を温存し、そこに向けて欲望の流れを制御しようとする。仮に「中心」に対して「お前に欲望があるのだ」と暴露してみたところで、代わりは無限にいる。「小泉死すとも・・・は死せず」ということだ。そもそも「暴露」型消耗戦を戦う体力は「奴ら」のほうが上だ。馴化されたる欲望にみちた先兵は尽きることがない。「そうだよ、私は欲望にまみれているよ、それで何か?」で相打ちでは本丸には永遠に届かない。

主戦場は「奴ら」の欲望ではなくて、私の欲望だ。私の欲望を制御不能なものとして、ノイズとして発信し続け、馴化された欲望の流れを撹乱しよう。

(2004年7月8日)

■紋切り型現実像を反復する ありきたりの視座

本日付朝日新聞夕刊、西垣通さんのネット空間についての論考。「紋切り型現実像崩す 新鮮な視座」。

新しいメディアとしてのネットのもつ可能性を、将来の成熟によるマスメディアとの相補関係の到来という形で期待を表明。とかくネットを悪者にして済ますマスメディア中心のネット論への警鐘としては誠実とは思うが、少しずれている気がする。

ネットは「未成熟さにもかかわらず」影響力を持っているがゆえに、成熟すれば素晴らしいものになる、のだろうか。むしろ未成熟であるからこそ、今ある影響力を持ちえている、というべきではないのか。十分に成熟し、馴化された言説空間に、西垣が言うような「生」の意味の解釈を行わせしめる力は持たない。あるいはそういう馴化されたマスメディアに対する反発がネット空間の原動力というべきではないか。

それは例えば抑圧された言説が回復される場などとしてとりたてて称揚されるべき性質のものではない。また逆に無作法で未成熟で人間の負の部分をぶちまける「便所の落書き」として貶められるべき性質のものでもない(もちろん「便所の落書き」とて一概に貶められるべきものでもないのだが)。ただ新たに作られた「現実」の、強固な一側面として捉えるべきものである。

ネットは「現実」を反映しているのではない。そうではなくて、現実そのもの、社会そのものを構築しているのであり、人々はネットを通じて現実を捉えようとしているのではなくて、単にネットの中でありきたりの生活の一部を行っているに過ぎないのだ。

(2004年7月8日)

■備忘録(他人が読んでも何のことやら理解不能なメモ)

今、一切の思考というものを停止しているわけではない。確かに熱くて脳みそが言うことを聞かないし、それ以上に「メタ」次元で思考するという機会を失っていて、簡単には元に戻りそうもない。時間も思考もすべてが断片化されていて、まとまった思考を行う意思もそのためのネタもない。

そうはいっても何も思わないわけではない。闘うべき事柄はあるし、それに対する戦略のようなものを考えもする。ただそれが今現在はあまりに「私個人」にひきつけられすぎていて、つまりその闘争というのはあまりに具体的な場において進行していて、文章、少なくとも社会科学としての文章、にすることが出来ない。

それでもテーマは一貫している気がする。私が「教育社会学」を志したときに見ていた社会の「矛盾」、結局真っ向から捉えることがかなわなかった「問題」を今、再び見ている気がする。

というわけで備忘録代わりに、「敵」を再確認。一つは「シニカルなナショナリズム」。こちらは最初から私にとっては「メタ」次元の問題としてある。しかしこれより当面差し迫ったもう一つの「敵」、「官僚主義的*心性*」、「無能な管理主義」、「(既得権に関わる)エクセプト・ミーの傲慢さ」、まだ中心を絞りきれていないが、これらの言葉のどこかには「それ」はかすっているはずだ。巷では「抵抗勢力」などと呼ばれているもののミニチュアかもしれないが、しかしそれを「超人」的に解決しようとすれば、シニシズムを呼び込むだけだ。そして現に具体的な場においては私はシニシズムを自ら呼び込んでしまっている。二つの問題系は、対立しつつ絡み合っている。ややこしいが、逆に「問題」をきちんと捉える契機になるかもしれない。

さらに備忘録代わりに思いつき。両者に底流するキータームは「卑しさ(=欲望)」。「卑しさ(=欲望)」の隠蔽がある種の「管理主義」と連なり、それに対する反動としてのシニシズム。思いつきなので荒っぽいのは承知。さしあたりは「卑しさ」をどう具体的現象の中で言語化していくか。

(2004年7月7日)

■超絶技巧

知人より小包が届く。就職が決まった報告とCDが一枚。CDは自作曲をピアノで演奏したもの。

モーヲタなもので、しばらくクラシックなどまったく聞かなかったのだが、最近ちょっとピアノソロが気になっていたところ、ありがたく拝聴する。

その人のサイトではMIDIで曲紹介がされていて、たまに聴いてはいたが、やはりピアノできちんと演奏されるとまったく別の曲のように聞こえる。ピアノの音というのは人間の声以上に感情を伝えうるものだ、と認識する。モーヲタながら、なっちこと安倍なつみの歌声より聴き応えがある。とてもこんな感想、ご当人には返せない。

ついでにピアノソロに気になった契機というのが「仔犬のワルツ」。ますますもって、人に話せる内容ではない。

(2004年7月7日)

■届け!恋のテレフォン GOAL

なっちこと安倍なつみの新曲の曲名が発表。「恋のテレフォン GOAL」。

え〜と、なんというか、その、「届け!恋のテレバシー」と同じにおいを感じるのですが。

(2004年7月7日)

■七夕

一旦断絶させると、再開するのにエネルギーが要る。

サイト、更新が滞ると、逆に*まともな*ことを書いて、復活させようと思うから、余計に更新が滞る。悪循環だ。

人間付き合いも同じで、まめに反応をしていれば、さして気を使わない事柄が、ちょっと間をおくと、*きちんと*反応しようと思い、さらに反応が遅れる。場合によってはそのまま、The End。

特にこのくそ暑いさなか、何かにエネルギーを消費する、ということが大変つらい、すべての活動が縮小していく。そうして途切れた活動が年々積み重なり、年を追うごとにひきこもりが促進される。

一年に一回、「会う」だけでもましというものだ。

(2004年7月7日)

■妄想の世界

気がつけば7月。蒸し暑さにやられて、脳みそが言うことを聞かない。

夜、寝つきが悪い。なにやらうだうだと物思いをしている間に自分がすでに寝ているのか、そうでないのかが分からなくなる。今頭の中に浮かんだことは夢か、妄想か。

どこかに一点、現実との接点を持っているほうが「妄想」だ。現実は間違っている、だから崩壊させよう。「夢」のほうが健全だな。

野島伸司の妄想の世界を具現化したドラマ「仔犬のワルツ」、視聴率最低。「悪魔と神の闘争」なんてのを大真面目にやられても、ね。個人的にはとてもはまったが。

(2004年7月1日)

■サボタージュ

今年の教育社会学会大会報告申込締切6月18日。余裕で横浜に缶詰状態だったので出さず。ま、会場が東北大学で行くのめんどくさいし、とかでサボる気満々だったので、そんなものだ。

(2004年6月23日)

■横浜、たそがれ

長い更新停止。掲示板でご心配?の声をいただく。

先週の火曜日から金曜日まで横浜で企業研修の見学。「見学」だからお金は出ない。今後の仕事につながればよいのだが、はてさて。

火曜日。水曜日の朝から研修開始なので、前日早い目に横浜入りして、横浜見物。それぐらいしないと元が取れない気がする。昼に新横浜到着、そのまま東急で中華街に出て、昼ごはん。夜だったらアルコールも入れて、豪華にフルコースと行きたいところだが、昼に1人ではそんな気にもならず、1000円のランチ。値段の割りに量が多く、味もなかなか。京都が誇る中華料理「天下一品」より大分お得。

その後定番の山下公園に行く。平日の昼間に背広を着て1人で山下公園での散策というのも、いつものことながら割合むなしい。それでも暇に任せてあちこち歩き回り、最後は「シーバス」とやらに乗ってJR横浜駅に戻る。「シーバス」、電車だったら200円かそこらの距離を600円と実用性はないが、ちょっとした船旅気分を味わえてよかった。

夜は研修場所の鴨居というところに行くが、企業研修の常か、見事に何もないところ。中華街で夕食をとってから来れば良かったと後悔する。仕方なくファミレスでむなしい食事。暇つぶしに入った駅前のCD屋で「W」のアルバムとモーニング娘。の1998年のシングル「抱いてHold On Me」を発見。前者はともかく後者は今新品を入手できるとは思っていなかった。横浜に来てよかったと思えた瞬間。

「抱いて」はそのカップリングの「例えば」が80年代B級テイスト漂う名作で、アルバムにも収録されていない、ライブでもほとんど歌われなかった貴重な曲。歌詞に「シャラララララ」なんてのが入る、ということを紹介するだけでこの曲の真髄は説明しえていると思う。

別に横浜で買わずとも良かった「W」のアルバムだが、こちらも期待以上のものであった。知ってはいたが、辻加護、上手いのである。元曲の歌い手の歌唱力がいまいちなものなど、曲のよさを再発見させられたりするわけだ。そうでなくても、辻加護の歌唱力はお世辞抜きで「隙」がなく、どの曲も聴いていて心地よい。一番気に入ったのは中谷美紀が所属していたユニットKEY WEST CLUBの「お誂え向きのDestiny」という曲。オリジナルを知らないのが惜しまれる。このアルバムのリピート回数、安倍なっちの最新シングルのリピート回数を軽く上回ってしまった。

金曜日は17:00ぐらいに新横浜に行き、指定席を探すが、19:00過ぎまで満席。そんなに待てるかと勢いでグリーン券を購入してしまう。2時間近くのプチブル気分、財布の中身はすっからかん、翌日は土曜日なのに早朝からお仕事のプロレタリアート。

(2004年6月23日)

■5分の1並

月曜日の行動日誌。

9:00から12:00まで京都で仕事。昼休みもとらずにJRに乗って大阪へ。13:30の約束までの15分程度の空時間で牛丼を食す。15:00まで打ち合わせ(営業)。16:30には職場に戻り18:30まで仕事。

なんか「ジャパニーズビジネスマン」、やってんじゃん。ヒッキーとは思えない仕事振りだな。私も人並みに働けるということだ、週に1日程度なら・・・。

(2004年6月9日)

■会話分析素材

某所でNHK-BSの中澤卒業特番を見る。リアルタイムでは見なかったのが悔やまれる。このころは娘。もNHKクラスで大切にされていたんだなあ、と実感。安倍卒業特番なんてNHKはおろか民放でもやってくれなかった。

そのなかでメンバーが中澤さんに記念品をプレゼントをするシーン。安倍さんが例によって無邪気に「あげる」と紙袋を差し出す。中身をのぞいた中澤さんはなにか突込みを入れたそうに「ええ、ちょっとまって、お弁当?」とつぶやき、安倍さんを見るが、安倍さんは小首をかしげてにっこり。「食べてミソ」。

中澤「は・・・ちょっと・・・お弁当だあ・・・」。

安倍「なんかやだぁ。恥ずかしいね」。

安倍「あと、トマト好きじゃないでしょ。だけどトマト入れなかったらちょっとなあ、ちょっと彩り悪いかなあ、とか」。

中澤「あはははは」。

安倍「ま、いいやぁとか、いろいろ考えてさぁ、考えながらつくったんだよ」。

中澤「好き嫌いをここまで知ってくれているのはうれしいんだけど・・・」。

突っ込みどころのはずが突っ込ませない安倍さん。やはり人間同士の会話とは微妙に違う。なっち天使。

(2004年6月9日)

■備忘録−忘れるはずのない事柄をわざわざ書きとめるもの

今週の「オレンジデイズ」で登場人物の女性が髪型を「なっちみたいにする」と言って、その兄から「顔が全然違うだろ」と突っ込まれる、というシーンがあった。

このような「女性アイドルの事例」としてゴマキこと後藤真希とか、あややこと松浦亜弥とかが使われるのは何度か見かけたが、なっちこと安倍なつみが使われるのははじめて見た。

ついでに同じドラマ中に「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」というせりふがあって、この言葉は安倍が好きな言葉というので、ますますネットで安倍ヲタが盛り上がっているのだが、これはまあ偶然だろう。

(2004年6月9日)

■ダブルヲタ

6月1日、なっちこと安倍なつみ、2枚目シングル「だって生きてかなくちゃ」購入。同日発売のDVDは近所のCD屋には置いていなかった。翌日改めてそのCD屋に行くと、DVDは未入荷のまま、CDは売り切れていた。ついでに辻・加護の新ユニット「W」のアルバムも影も形もなかった。ハロプロに冷たすぎるぜ、近所のツタヤ。

6月5日、京都市内に出てTOWER RecordsにてDVD、「W」アルバムを発見。さらに昨年12月3日に出たらしい松本典子の「ベスト」も発見。全部ほしかったが、財布を見るとお金が足りない。泣く泣く「W」を諦める。

なっちシングルを一枚だけ買うのはヲタみたいなので(ヲタだが)、松本典子CDと合わせるとヲタではなく、J-POP愛好者に見えないだろうか。んー、単に年季の入ったアイドルヲタにしか見えないな。

(2004年6月6日)

■昔直訴、今告げ口

体調が悪い。この「体調がデフォルトで悪い」という状態を何とかしないと生産活動はおろか、まともな社会生活さえ送れないのは確かだ。

今週だって3日しか外で働いていないのに、残りの日は自宅に引きこもっていただけなのに、疲弊しきっている。いや、引きこもっているから疲れるのか。

仕事のほうは相変わらずだらだらやっている。私が事実上仕事に誘い込んだ感じになっている二人の人間関係がうまく行っていないらしい。一人の方がしきりにメールでその職場の「管理者」に相手の批判を行っている。そのメールは個人宛ではないので、私もそれを読むことになる。気が重い。熱いところとクールなところが程よくブレンドされている人だと思って誘い込んだのだが、人を見る目がなかったか。相手にも非はあると思うが、頭越しに管理者サイドの人間に「告げ口」するのはどうにも品位を欠く。非常手段として、相手の首と己の首をかけてやるのなら認めるが、それほどの覚悟は感じられない。

どの道私の手を離れている話なので、静観するよりないのだが、「告げ口」は相手の評価も下がるかもしれないが、それ以上に自分の評価を下げる、もって他山の石としよう。

(2004年6月6日)

(-2004/05/31)



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